毒親になりたかったわけじゃない
機能不全家庭・毒親育ちと表現し、母との関係も投稿していますが、
母について幼少期からずーっと考え続けてきました。
母という一人の人間とは、母親とは、親子とは、家庭とは、何なのか。どうなのか。
私の意味、存在、生きること。一体、何なのか。
その中で見つけた答えの一つは
母が毒親になりたかったわけでもなく、
母が一人の人間として苦しみの中にいて
「母親」として生きていたということ。
母自身も母と娘の課題。
最愛の人を失う。
夫婦関係の問題。
年子+双子の3姉妹を365日ワンオペ。
子育ての悩み。
専業主婦で閉鎖的な空間。
見知らぬ土地で生活。
そんな中で母がいつも孤独だったこと。
認められたい気持ちを抱えていたこと。
そういった母の気持ちに気づいた時。
これもまた、いろんな気持ちでいっぱいになる。
母を守れなかった。支えられなかった。
気づけなかった自分を責める。
申し訳ないと思う。
傷ついた心や理不尽な扱いを受けた悲しみや怒りのやり場がなくなる。
私にとって、母は絶対的な存在で正しさだった。
母が白を黒と言うなら、それはもう黒で。
正当性を常に述べていたから、母は偉大で正しくて、強い人なんだと思っていた。
でも、実際は考えれば考えるほど、母は不安定で弱く・脆い。
母親になり、弱さを見せられなくなったのだろうか。
180度変わった人生を嘆きたくなかったのだろうか。
自分を正当化し、鼓舞しないと生きて来れなかったのだろうか。
母が私に言っていた言葉があります。
「パパが言ってた。
あんたたち、ママじゃなかったら虐待されて死んでてもおかしくないって。
ママに感謝しなさいよ。」
当時は、私って虐待死に値するほどの人間なんだ・・・
ただ生きているだけだけど、親を苦しめる存在でしかないのか・・・
でも、今ならわかるし、感謝してる。
私も母も命があることって、奇跡かもって。
一番辛かった頃の母は、そのくらい追い詰められていたと思う。
私もたくさん傷ついて、心なんてズタズタで。生きてる価値も見出せなかった9歳。
毒親になるしかなかった。
毒親のつもりなんてなかった。
ただ、必死に生きていた。
それだけだった母。