なりたくない母と同じことしてまして
機能不全家族育ち、いわゆる”毒親”だった母。
私が持っていた感覚として、母は私が外の世界や知らない世界に行くのを嫌悪していました。
行動の制限も精神的な圧もかなりあったと記憶しています。
その中で生きるのは、息苦しかったし、閉鎖的で打ちのめされていました。
そのような環境で幼い頃から自問自答を繰り返す日々の中、
「私が母になったら、子どもにはたくさんの人と関わらせて、たくさんの居場所を作ってあげよう」と思っていました。
もし、私と母みたいに分かり合えなくても、誰かが子どもを理解してくれる。
私みたいに、居場所がどこにもなくて、ある意味シビアな子どもの世界と信用できない大人の間に落っこちてしまわないように。
いざ、子どもを出産。
父とは疎遠、母・姉妹とは絶縁。
義実家も介護や後見人を請け負う立場。
ママ友ゼロ。近所の知り合いゼロ。
数少ない友人も近くにいない。
乳児の時は、人付き合いが苦手、考えすぎて会話できない、荷物の準備~片付け+いつもの家事と思うと出かけるのが億劫すぎて、家で子どもと二人きり。
幼児になると、暴力や癇癪を起こす息子を人に関わらすのが、しんどい。
躾がなってないと言われるだろうか。親としてどう思われるだろうか。
そんな思いが頭をいっぱいにしていました。
非認知能力を学び、BYBSコーチになった今
BYBSコーチ活動に息子を連れて行き、公園や外出もできるだけするようになり、近所の方が声をかけてくれルようになり、父との関係が良くなり、旅行先でキッズスクールに預けたり、息子は多くの人と関わりが増えました。
私が思っている以上に、たくさんの人から褒められ、人が大好きになり、自らたくさん話すようになった息子。
私には見えなかった息子の姿を教えてもらい、見せてもらい、考えさせられることもあります。
はたまた、行動が過ぎて、怒られたり、注意されたりすることもあるし、思いもよらないことを言われたり、古い考えを押し付けられたりもする。
反対に私の容量越えで息子にブチギレることもあるし、その度にやっちゃったと猛省するし、恥ずかしい気持ちにもなる。
でも、その度に私たちが息子をフォローしたり、周りの人が息子をフォローしたり、私に労いの言葉をかけてくれたりします。
私たちにこんな環境があって良かったなと本当に感謝しています。
そうして、やっと気づくのです。
ああ、私はなりなくない”毒親”の母と同じことをしていたんだ、と。