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私がアトピーの悩みから解放されるまで① ステロイド塗りまくり期→最初の脱ステ

こんにちは。
足もみ👣おまめさん むっちゃんです。
私が身心を整える大切さに気付き、食や足もみと出会うきっかけとなったのがアトピーでした。
そんな私のアトピー歴(アトピーの悩みから解放されるまで)を、お話したいなと思います。
私はもともと、そこまで重度のアトピーというわけではなかったかもしれません。
ですが、赤ちゃんの頃からステロイドで症状に蓋をしてその場しのぎを続けた結果…
大人になってからそこそこ壮絶な脱ステを経験して今に至ります。
たぶん長くなりますが…お付き合いいただける方がいたらうれしいです(一気に書けないので、何回かに分けて載せます)。


赤ちゃんの頃

私は生後3か月頃にアトピーと診断され、全身にステロイドを塗り始めました。
当時はアトピーは「大人になれば治るもの」というのが一般的で、両親もそう思っていたと思います。
記憶はさすがにありませんが、写真で見返すといつも頬が真っ赤でした。
まぁまぁひどい状態だったのかなーと思います。

一番古い記憶があるのは幼稚園の年少さん頃

この頃は幸い、ステロイドを塗っていればそこそこ痒みや炎症は治まっていたように思います。
ただ、冬になると暖房で顔が痛いくらいにジンジンほてるのがとても不快でした。
頬が真っ赤になるのも恥ずかしくて(今思うと、炎症+ステロイドの副作用で皮膚が薄くなっていたのかなぁ?)。
周りの大人や友達に「むっちゃんほっぺた真っ赤だ~!」と言われるのが本当に嫌でした。
悪気はないのは分かっているんだけど。こどもながらに結構傷ついていました。

小学校低学年

この頃はあまり記憶がないのですが…かなり落ち着いていたのかな?
夏の時期に膝裏肘裏などに出た時に、ちょっとステロイドを塗る程度だった気がします。
出たらその箇所に塗る…てな感じで、アトピーのことは(たぶん両親も)ほとんど忘れていた時期でした。
ところが…

小学校高学年

この頃から、まぶたに慢性的に炎症が起きるようになりました。
今思えば、生理が始まったり体の変化も大きい時期。それが大いに関係していたと思います。
多感なお年頃の小学校高学年。おしゃれにも目覚めたり、見た目がとても気になる時期です。
私は自主的に近所の皮膚科に1人で通い、せっせとステロイドの塗り薬を貰ってくるようになりました。
この頃の私にとっては、自分がアトピーだと思われること、肌が汚いと思われることは何よりも恥ずかしいことでした。
女子特有のグループや仲間外れなども出てきて…自分の見た目から仲間外れにされてしまうんじゃないかという恐怖もあったと思います。
赤みが出ているときに「むっちゃん、アイシャドー塗ってるみたい」と友達に言われたのも更に拍車をかけました。
相変わらず冬には頬が真っ赤になるため、その時期は炎症がそこまでひどくない頬にもステロイドを塗るようになっていきました(ステロイドには血管収縮作用があるため、塗って少しの間は頬が真っ白になるのです)。
皮膚科の先生には「そこまひどくないから、ステロイドを塗る回数を減らしてみてもいい気がするけど…」と言われたけど、塗らなくなるとすぐに赤みが再発するので、赤くなるのが不安でほぼ毎日塗っていました。
皮膚科の先生もそれを知りながら、ステロイドを毎回処方してくれていました(いいのか悪いのか…まぁ、当時思春期真っ只中の私からしたら、ごちゃごちゃ言わずにただステロイドをポンと処方してくれる先生はとても都合が良かったですが…)。
今考えれば、なんて無知だったんだろうと思います。
この時にもっとちゃんと根本に目を向けて取り組んでいれば、大人になるまでに治っていたんじゃないかなー?と思ったり…今となっては分かりませんが。
親はなにしてた?て話も出てきそうなので、一応…
両親、特に母はいつも私のことを気にかけてくれていたと思います。家族はおじいちゃんおばあちゃんも一緒に住んでいたので、大人からはかなり手をかけて可愛がられていたと思います。ただ、この頃は思春期真っ只中。放課後も親と出かけるのは恥ずかしくて、いつも友達とつるんでいました。皮膚科も地元だったので、友達に外で待っていてもらって1人で受診していました。決して放任だったわけではないです。あとは、アトピーに関する知識が私含めて家族みんな乏しかったので、「薬を塗っていればそのうち治るよね」「お医者さんの言うこと聞いていれば安心だよね」という感覚で、私1人で皮膚科へ行かせていたんだと思います。当時のアトピーへの認識って、世間一般的にこんなものだった気がします。
そんなこんなで…

中学生

引き続き思春期真っ只中。
相変わらず、顔を中心にステロイドを多用していました。
冬の頬の赤みとほてりはますます酷くなっていっていたように思います。
それが嫌でさらにステロイドを塗る毎日でした。
そんな中…衝撃的な情報を目にします。

「ステロイドは危険」

何かの週刊誌だったのか本のタイトルだったのか…情報源は忘れましたが、とにかくこんな言葉を目にしました。
衝撃でした。
だって、毎日大事なお顔にぬりぬりしていたんですから( ;∀;)
ここで初めて

脱ステ

という言葉も知ります。
何かの雑誌か本かに載っていた脱ステの様子は、目を覆いたくなるくらい酷いもので…
「ステロイドをやめたら、私もこんな風になるんだ…」「大変なものを塗り続けてしまった…」「今すぐやめなきゃ…」
当時の素直な私は完全に情報に影響され、「ステロイド=悪」「ステロイドさえやめられたらOK!」という思考になっていきました。

そもそもなんでアトピーになったの?てとこをすっ飛ばして…

「とにかくステロイドをやめなきゃ!」

と焦っていました。
振り返ると、この当時まさに「ステロイドバッシング」全盛期の時代で。
その影響で、脱ステのための民間療法がものすごく増えた時期だったようです。
私も見事にその波に飲み込まれた、ということになります。
そしてその数ある民間療法の中で私が目を付けたのが

強酸性水。

アトピーの患者さんの皮膚には黄色ブドウ球菌がたくさんいて、それが炎症を引き起こす。それなら、強酸性の水で黄色ブドウ球菌をやっつけちゃおう!てなことだったと思います。
これまた今思えば、一時しのぎのものだったなぁと思うんですが…当時の私は真剣に、これでアトピーと一生おさらばしてやる!!と思っていました。
脱ステをするとなると、ひどい状態になるのでなるべく学校には行きたくありませんでした。なので、母と相談して受験も終わった卒業前の時期、学校を休んでもあまりまずくない時期を選んで、満を持して初の脱ステを決行しました(母や家族は心配しながらも、その決断を見守ってくれていました)。
結果…効果はそれなりにありました。
ステロイドをやめて、炎症がばぁー!と出てきましたが、二週間くらいでピークは落ち着き、炎症も治まってきて…。え?こんなもん?やったー脱ステ成功!!と浮かれていました。
しかしそんなにうまくいくわけはなく…

高校入学直前の春休み

治ったと思っていたアトピーの炎症がぶぁーっと、顔に現れました。

後々、私は春先に悪化しやすいタイプでそこにはちゃんと理由があることも理解するのですが…この当時はもう大パニックでした。
治ったと思ってたのに!脱ステ成功したはずなのに!!なんでまた出てくるの!?と…。
もうすぐそこに迫っている高校の入学式。
強酸性水を毎日ばしゃばしゃ浴びても治まらない炎症…。
このままの顔で高校には絶対行きたくない…。
もうどうしていいか分からず…なんとか綺麗な顔で高校入学を迎えたい気持ちが何よりも勝ち、私はまた皮膚科のお世話になることにしました。
高校の入学式には炎症の残る顔で出席しましたが…(笑顔の母の隣でめちゃめちゃぶーたれた顔で写っている私の写真があります…ごめんねお母さん( ;∀;))。
それでもその数日後には、綺麗な状態になりました。
改めて、ステロイドのすごさを実感したできごとでした。
それと同時に、「やっぱりアトピーの私にはステロイドがないとダメなんだな。」「ステロイドを使いながら生きていくしかないんだな…もうこんな悪化のしんどさを経験するのは嫌だ」と…ある意味諦めを覚えた記憶が残っています。

長い長い私のアトピーの歴史の第一話でした。
まだ高校生…何話まで続くのでしょうか(笑)はてさて。


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