見出し画像

私がアトピーの悩みから解放されるまで③雲行きが怪しく…社会人~結婚

こんにちは。
足もみ👣おまめさん むっちゃんです。
前回は、
なんだか落ち着いていた大学時代、調子にのって不摂生三昧のまき…
をお送りしました。
さて、今回は

雲行きが怪しくなっていく社会人~結婚生活のまき

です。
大学時代は春先の悪化などはあるものの、ステロイドの単発利用で全体的に落ち着いていたアトピー。なんなら、アトピーが出ていない時は「お肌ツルツルだね」なんて言われる状態でした。
そして私は大学を卒業し、1年間福祉の専門学校に通い、小さな福祉施設に生活相談員として就職しました。
初めての社会人生活。なにもかもが慣れない中、必死で仕事を覚え、一生懸命働きました。
就職先が小さな施設だったこともあり、相談員の仕事のほかにも現場に入ったり、日々の記録業務や事務、地域の連絡会の運営などなど…やることはもりだくさんでした。
当時、良くも悪くも真面目で要領よく手抜きができなかった私は、毎日残業してせっせと仕事をしていました。朝8時半に出勤して、帰宅はいつも大体夜9時すぎ。帰ってから母が用意してくれたご飯を食べる時もあれば、空腹にがまんできず、残業帰りにラーメン…なんてことも週2回ほどはコンスタントにあったと記憶しています。
そんな毎日を送っているうちに、気づけば吹き出物がぽつぽつ…肌がかさかさ…しかもなんだか痒い…という状態が慢性的に続くようになっていました。
皮膚科に行って保湿剤をもらってみたり、良さそうな化粧品をドラッグストアやネットで物色して使ってみたりしていましたが、良くなったりまた悪化したり、の繰り返し。
アトピー!というまではいかないものの、当時はとても肌が敏感でちょっとした刺激にも反応して痒くなったりで、調子が良いと言える時の方が少なかったかなと思います。
そんなお肌の低空飛行が続く中、当時お付き合いしていた方との結婚が決まり。
東京から名古屋に引っ越すことになったため、約4年務めた職場を退職しました。
大変ではありましたが、社会人として・人としてとても大事なことを学び成長できた4年間だったなと振り返ってみて思います。
しかし当時は毎日の残業や責任のとても重い仕事に心身ともに疲弊していたこともあり、退職することにとてもホッとしたのも確かです。
結婚後は「家庭との両立は私には心身ともに難しい…」と思い、福祉職には就かず、病院での事務職をすることにしました。
残業や仕事へのストレスは少なくなったものの、結婚後もお肌の方は低空飛行が続いていました。
相変わらず過敏で、痒み赤みが出ては皮膚科を受診し保湿剤やらステロイドをもったり、化粧品ジプシーも続いていました。

結婚するまで実家暮らしだった私。
恥ずかしながら自炊経験がほぼなく…

当時の私はアトピーや食に関する知識も本当に乏しく、バランスの良い食事が全く作れていなかったと思います。

実家のレシピなどを参考にお肉中心のメニュー、野菜のほとんどない食卓でした。
新婚当初、今でも忘れられない夫からのひとことがあります。
私「今日何か食べたいものある?」

夫「野菜が食べたい」

今思えばほんとにごめんなさいです(笑)
夫にそう言われてしまうくらい、食卓に野菜がなかったんです。
でも、当時の私は言われるまでそのことにすら気づかないくらい、「食べたものが体を作る」という意識がなかったんですよね。
そりゃ、肌も荒れますわって話なんですが、そこが私の中で繋がるのは、まだもうちょっと先のお話になります。
お肌は低空飛行な新婚生活でしたが、初めて実家を出て、見知らぬ土地名古屋での生活は私にとってとても新鮮で楽しくて。
夫が楽器関係の会社に勤めていて、同年代の同僚の方たちが男女ともに仲が良くて。
私もウクレレ部に入れてもらって一緒に練習したりイベントに出たりと…良い思い出がたくさんの名古屋生活です。
結婚生活が始まり1年ほど経ったころ、「そろそろ子どもが欲しいね」という話に。
私たちは結婚するまで長らく日本と海外の遠距離恋愛だったため、1年ほどは2人で楽しみたいねと話していました。
たっぷり2人を楽しんだあと、いざ子どもを…となったのですが、そこから1年経っても妊娠はせず。不妊治療をスタートさせることになりました。
今思えば、病院に行く前にもっと家でできることはたくさんあるよと思うのですが。
その話を始めるとまたもや終わらなくなるのでまた今度…。
そしてそんな中、夫の転職が決まり。
名古屋から実家のある東京に戻ることになります。
そしてそこから、アトピーが急展開を迎えます。

今日はここまで…。
またもや脱線だらけの長い文章を最後まで読んでいただきありがとうございます♡
次回、いよいよアトピー大悪化&私の転機のお話に突入します。


いいなと思ったら応援しよう!