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◆ 文章に日を当てる ◆

エッセイは、自分の体験を描いた文章。

共感したり感銘を受けるかは、読者が決める。

私が描き溜めてあるエッセイを、読んでほしくて投稿する。

夏休みに入り、小学生の観察課題『アサガオ』も、日に当たり、沢山花が咲くといいね。

私が小学4年生の時のお話です。

『ヘチマ捕物帳』(エッセイ)



私の通っていた小学校は、4年生でヘチマを育てる理科の授業があった。発育を1学期に観察し、夏休みには自分の植木鉢を持ち帰り、収穫するまでの記録観察だ。
5月のゴールデンウィークを過ぎた頃、先生から種をもらった。2人1組になり、いちごの空パックに土を入れ育てる。私とペアを組んだのは、隣の席のE子だった。E子は右側に、私は15センチ離して左側に植えた。いちごの空パックで育てるのは、発芽して双葉から本葉が2~3枚出た頃まで。ヘチマのつるは長いもので3メートルも伸びる為、その後は支柱に絡まるように外で育てる。名前を書いた植木鉢に株分けをして植え替えるのは、早くて1ヶ月後。教室で育てる作業までを、ペアであるE子と交代しながら毎日水をあげた。クラスの窓際に20パックも並び、クラス40人のヘチマの観察が始まった。

種を植えて1週間経った頃だろうか、月曜日の水やり当番の為に私は早く登校した。
「あっ、私のヘチマ、芽出たわ」
日当たりの良い場所だったからか、クラスで1番に発芽した。
「おー」「すげー」と、水やりに早く来たクラスの友達が言った。まだ発芽してない生徒が殆んどだった。私のヘチマが発芽した事など、クラスのトピックにもならず、理科の授業は淡々と進んだ。あの時先生に、私のヘチマが発芽したと発言していれば。

私のヘチマ発芽の次の日、水やり当番はE子で早く登校していた。私は朝の挨拶をしながらクラスに入った。E子は私の隣の席で満面の笑みで着席している。私がランドセルを降ろすと、
「ねー、見てきてー。私のヘチマ芽出てんよ」と言ってきた。
私はすぐE子と一緒に植えたパックを見に行った。ない。左側にあったはずの私の発芽した緑の痕跡がない。土を触ると柔らかい。若干左側が凹んでいる。私は、E子がパック内で入れ替えたと思った。いや、そうに違いない。このやろー。E子は新しい物好きで、クラスの女子で人気のあったキャラクターの鉛筆やキャップを1番に持ってくる流行り物好きだった。
「あんた、私のヘチマと交換したやろう」と、その一言が言えなかった。名前も書いてないヘチマに、取った証拠がある訳もない。E子の日頃の言動だけで決めつける発言は、自分を醜くするだけだと思った。今から起きる事の方が、もっと醜いのに。私の腹は決まっていた。

私は次の日の水やり当番で、右側のE子にあった発芽したヘチマを、自分の左側に移動させた。名前は書いてないが、先にあの発芽したヘチマの種は私の物だから。E子にバレないように凹みには細心の注意を払った。また次の日、E子は左側にある発芽した私のヘチマを入れ替えていた。無言でそんな事をするのか。お主もやるな、負けてたまるか。あくる日、私もE子の右側から自分の左側へ移動させた。何往復しただろうか。その頃、クラスの友達のヘチマは、いちごパック内で仲良く2つのヘチマが発芽して、双葉になるところだった。私とE子の発芽しない一方の黒い種は、中がスカスカで、小学生でも『この種死んでる』とわかるほどになっていた。
放課後、私とE子は先生に呼ばれた。
「二人でもう一度種から育てなさい」
私は黙っていた。E子も黙っていた。クラスの誰よりも発育が遅れた。植木鉢に移す作業も、みんなより出遅れた。私とE子はヘチマ発芽捕物帳に名前を残した。私は前科者になった。

夏休みの宿題は、家に持ち帰ってヘチマの観察をし、実を収穫して、ヘチマたわしに出来る子は9月の始業式に持ってくる事だった。邪魔されない夏休みに、ヘチマは黄色の花を咲かせた。あんな小さい種から星型のラッパのような花を咲かす。実ができ、始業式に間に合うように母親に手伝ってもらい、ヘチマたわしが出来た。見栄えの悪いヘチマたわしだった。
9月の始業式、E子もヘチマたわしを持ってきていた。それはそれは綺麗な、銭湯の売り場でしかみた事のない形の良い漂白されたヘチマたわしだった。

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