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◆ SNS発信の遅れで、ざわつく心 ◆

2024年元旦、午後4時11分に震度5の地震を体験した。
私は初詣にきており、参拝の列にならんでいた。


石川県小松市在住の私は被害も少なく、生活に不便は感じない。

8月のお盆も過ぎた日に、親戚が住む能登に行ってきた。
震災後の訪問は初めてだった。

義母の実家は、能登輪島の町野というところにある。
今年の夏は、義母が施設に入り生活しているので、お墓参りも兼ねて輪島市の町野地区に行ってきた。
親戚たちの安否を確認できたのは元旦から4日後だった。
SNSを使用していない高齢の義母の妹と本家に残る親戚たちは、地震後に金沢と滋賀県長浜に一時避難していたことを電話がかかってきて知った。
3月に水道、電気の復旧しなに地元輪島に帰りたいと戻ってきていた。
生活が不安定な中、何故帰りたいのだろうと思った。
半壊した家屋に何故戻りたいのだろう。
自分の住み慣れた町には誰もが戻りたいに違いないが、。
避難所にいても落ち着かないという話も、ニュースで聞く。
仮設住宅に順番で入居できても、落ち着かないとインタビュー映像で高齢者たちが言っている。

直接会った親戚たちの家は、半壊した家の横の納屋で生活していた。母屋の家は5月から、大工さんが週3回リフォームを請け負い作業してくださるのだが、他の家も掛け持ちでしているため完成は11月と言っていた。
野菜等は自給自足なのか、帰りにジャガイモ、ピーマン、ナスを山盛りに頂いた。
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ここまでの文章を8月に途中まで書いて寝かしていました。
寝かせていたなんて都合の良い言葉で、放置してしまっていた。
現地は、まだ手付かずの道路や家屋が多く、復興の遅さを感じた。

無人であろう住居に地震で潰れた車

放置されたまま


1月1日の地震から、もっと道路状況が良くなっているかと思ったが、工事の方が片側通行の道路整理をして、進入できない指示を受ける。

9月21日(土)
能登輪島を中心に線状降水帯が地域を襲い、9月の降水量の2倍もの雨が2日間で降った。川が氾濫し、緊急速報で避難の指示がテレビやラジオで流れた。
8月に行った町野から送られてきた画像に目を覆う

8月、右側の納屋で3月から生活していた
左側の家はリフォーム中だと言っていた


車2台が廃車
納屋も水が浸かった
電気、水道のライフラインが使えず、
避難所にいると連絡があった


11月から母屋に住めると楽しみにしていたのに、
泥水につかった状態

水が使えないので、後片付けができない。
これは私の親戚だけの話だが、今回の豪雨で能登地区では死者が出て、行方不明者が3日経っても捜索が続いている。

命があっただけ良かったと思う気持ちと、石川県にいながら迂回しながら片道3時間はかかる輪島町野まですぐに行くことができない。
現状の発信を、どう伝えたらいいのかと言葉を選んでいる時間はないのだと悔やむ。
私にできること。それは、震災ではタイムリーに発信すること、それに尽きることだと気持ちを改めた。








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