34歳会社員がラジオパーソナリティーに転職した話⑨フィジー編
会社員だった私が、34歳でラジオパーソナリティーに転職するようになった経緯をのんびりと書き連ねている。
順風満帆に過ごしていた30代前半に突然倒れ、入院、手術。
退院後、母との約束を叶えるため、苦手な飛行機に乗りフィジーへ到着したところまで書いた。
前回の記事はこちらから 34歳会社員がラジオパーソナリティーに転職した話⑧フィジー編
そういえば、東京オリンピック2020大会が始まった。フィジーはというと、7人制ラグビーで前回大会に続き金メダルを獲得している。
ツイッターでは一時「フィジー」がトレンドワードに入るくらいに盛り上がったようだ。
一度訪れただけなのに、なぜか嬉しくなってしまう。フィジーに行ってから10年以上が経つというのに、あの日々も、出会った人々のことも近く感じる。
天国へ到着
話は戻って。
フィジーに到着した私は、ホテルに向かう車の中でいきなりクライマックスを迎えたかのような緊迫状態にあった。
無事ホテルにたどり着けるのだろうか…
さながら映画TAXiの世界。
一台の車が真っ暗ななか、猛スピードで駆けていく。道路のコブで車が跳ねる。私も跳ねる。
共に後部座席に座る隣の母を見ると、驚くことに何事もなく穏やかな顔で寝ている。激しく揺さぶられながらも、なお穏やかな寝顔。
まるで仏。蓮の香りすら漂うようだ。手を合わせたい衝動を禁じえない。
眠る仏様の隣で必死に車の揺れや跳ねに耐える修行の時間、約数十分。
やっと宿泊予定のリゾートホテルに着いた。無事生きてたどり着いたのだ…!
あたりを見回すと何もない、ただ闇が広がっている。空を見上げれば無数の星。
正面に視線を移すと、ゆらゆらと揺れるトーチの炎によって、闇の中でエントランスがひときわその存在感を誇っている。
その先には大きな三角屋根。
屋根の下にはレンガの立派な柱が真っ直ぐと遠い光の方向へ続いていた。
まばゆい光の向こうには一面の大きな窓、その向こうは海だ。
天国についた…
振り返ると、ドライバーもガイドも穏やかに微笑んで私たちを見送ってくれた。なんだ一転してこの平和な空気は… TAXiの世界観はどこへ行った。
リゾートホテルでの過ごし方
インターコンチネンタルフィジー ゴルフリゾート&スパフィジーでの約1週間、ほぼここから出ることはなかった。
写真の構図としてはヤシの木の存在感がアレだけど。
ホテルの敷地内にビーチ、スパ、レストラン、バーなどなど何でも揃っているので、外に出ることはなく、ただただ日常を忘れてのんびりできる。
起きています。これでも目は開いています。
フィジーにいる間の写真はほぼこんな感じ。とにかく日差しが眩しい。
ホテルの目の前には美しいビーチがある。
ここでシュノーケリングのようなアクティビティが楽しめる。
ここは部屋のテラス。バスタブがついている。波の音をBGMに夜空の星を眺めながらのバスタイムだなんて!風呂好きの私にとってはこの上ない幸せ。
昼間はここにお湯を張り、足湯にしながら読書をしていた。
遠く南太平洋のフィジーまで来て読書。暑いのに足湯。
色々チグハグなのは否めない。
シュノーケリングという無理ゲー
いや、南太平洋の楽園まで来て読書ばかりしていたわけではない。
カナヅチの私が
幼少期に高麗川で溺れて地元の方に救出された私が
息継ぎの顔がブサイクと好きな男子に言われたことを30年以上経っても忘れられないこの私が
母の強い勧めでシュノーケリングにチャレンジしたのだ。
フィジーふたり旅の相手である母は、湘南(大磯)生まれ、文京区大塚の練り物屋の娘。伝統的な技工を持つかまぼこ職人の父を持ち、幼い頃から父について築地市場に出入りしていたらしい。
魚に囲まれて育った母は「やっぱり海が好き」なわけで。
海好きが高じて、50歳を超えてからスキューバダイビングを始めたというアクティブな人。
泳げない私に、それはもう無邪気にシュノーケリングを勧めてくれた。
思えば、母の押しがないと私は飛行機にもシュノーケリングにもチャレンジできなかった。そもそもフィジーにいること自体、母のおかげなんだから。見ることのなかった景色を見せてくれるんだから感謝しかない。
私は本を閉じ、いよいよビーチに降り立った。
ビートを刻む心臓、落ち着け落ち着け私。よろよろと小型船に乗り込む。
私と母の身体には大層な装備がつけられている。
大きな水中メガネ、口でくわえるパイプ(呼吸をするためのシュノーケルという道具)、足にはフィン、そして浮くためのベストを着ている。ライフジャケットのようなもので、これを着けていれば溺れることはない…はず。
10人ほどのグループの中で日本人は私たち親子だけだった。船上では英語が飛び交っていた。かろうじてそれが英語であるということだけはわかった。
ほどなくして小型船はビーチから少し離れた海の上で停まった。
すると、ガイドの屈強なフィジー人男性が私たちへ海に入るよう呼びかける。太陽の日差しに照らされた最高の笑顔だ。
いやいや待て待て心の準備が
ちょっと私、実はカナヅチなんですけど
怖いので特に私のことは注意深く見守ってほしいんですけど
溢れ出す言葉たちを彼に伝えたかったが、なんせ英語が話せない。
大学の4年間、私は英文科で何を学んでいたんだろうか。
ヘミングウェイの「老人と海」は、実際に海上に漂うまさに今その瞬間、何の助けにもなっていない。
ビビっている私をよそに、母は無邪気に海に入っていく。さすが湘南(大磯)生まれ。
豊島区生まれ所沢育ちの私には無理です。
とも言っていられず、とうとう海に入ることになってしまった。
カナヅチが海に入るとどうなるか。
予想通りのことが起きた。
その話はまた次回。