34歳会社員がラジオパーソナリティーに転職した話②
34歳で会社員を辞め、全く経験のないラジオパーソナリティーに転職した、その経緯をつらつらと書いています。
前回の内容はこちらから読むことができます。
34歳会社員がラジオパーソナリティーに転職した話①
人生最大の激痛
それはいつもと変わらない平日の夕方のことだった。会社には上司や同僚が10人ほどいただろうか。
もう少しだけ仕事を頑張ろうか…
なんて思いながら、トイレを済ませた、その直後。突然の腹痛に襲われる。
ああ、まただ。いつもの重い生理痛か…。更衣室に行き、常備している鎮痛剤をすぐに飲む。
痛ってぇ…なんだこれ、いつもと違う??
嫌な予感が頭をよぎる。
突然寒気を感じる。
そしてやってくる激痛。それはこれまでに感じたことのない痛みだった。
下腹部に漬物石を激しく何度も落とされているような、ひっきりなしに続く激しい痛みに息がしづらくなる。
あまりの痛みにその場にうずくまる。
なんぞ!これは!
もしかしたらこれは陣痛か!!
妊娠もしていないし、全く何も心当たりはないが!この痛みは何かが生まれる痛みに違いない…!!
これが陣痛というならこの激しい痛みも納得ができる…!
30数年生きてきて味わったことのない痛みで思考能力は鈍っている。
声にならない声で呻きながら、その場に転がり始める。
「…誰か…誰か…!」
呻きながら声を振り絞るが、ドアの向こうに声は届かない。
ひとり更衣室で痛みに潰されそうになりながら思いついた。
そうだ、電話で助けを求めよう。
やっとの思いでスマートフォンを操作し、更衣室の外、自分がいる会社に電話をする。
後輩の女性が元気良く電話に出る。
「…もしもし……私…更衣室にいて…お腹が痛くて…動けない…」
電話は切れ、直後にバタバタと大きな足音とともに後輩が更衣室に飛び込んできた。
その登場にホッとしつつも、激痛はなおも続く。
これは普通じゃない。
身体を痛みに支配されながらもそんな風に思っていた。普通の生理痛じゃない、お腹の中で何かが起きている。
初めての救急車
遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる。
後輩があまりの私の痛がり様に救急車を呼んでくれていたのだ。
しかし救急車が到着する頃には人の助けを借りながら歩けるようになっていた。
ああ、ごめんなさい、もう歩けるようになってしまいました…
と申し訳ないような気持ちで救急車に乗り込む。
救急隊員には「おそらく生理痛です」と恐縮しながら伝える。
命に関わるようなものではないだろうにすみません…と救急車の中のストレッチャーに横たわりながら泣きそうになる。
荻窪にある病院に行くことになったと救急隊員の方に告げられる。
私と付き添ってくれた後輩を乗せ、救急車が走り出す。
練馬の会社から荻窪にある病院まで、幹線道路や踏切を通っているだろうことは音や振動で想像できる。
振動、これがなかなかだった。乗用車のようなあの乗り心地なんて皆無だった。確かに長時間乗るものでもないし。
「救急車が通ります!!道を開けてください!!」
隊員の方がスピーカーを通して何度も何度も大声で訴える。
ああ、本当にごめんなさい、、皆様、道を開けてください。
夕方ということもあり、道路は渋滞しているようだった。
ああああ、、そうこうしているうちにさっきの鎮痛剤が効き始めてきて、もう痛みが落ち着きかけています。なのにごめんなさい、皆さんご迷惑をおかけします…
20分近く乗っていただろうか、ようやく病院についた。
産婦人科のある病院ではあったが、時間外だったため、その時間は当直の内科医しかいなかった。
私自身すでに痛みが落ち着いていたこともあり、その場で検査をするでもなく、強い鎮痛剤を飲み少し休んで帰ることになった。
「こんなに痛いのは普通じゃないので、近いうちにしっかりと検査をしてくださいね」
先生が言う。
5ヶ月前に検査をして問題なしと言われたのに、一体何が起きているんだろう。
さて。付き添ってくれた後輩女性が色々と面倒を見てくれて、私の家族に電話をしてくれていた。(あの時は仕事中だったのに色々とありがとうMっち)
1時間ほど病院で待っていただろうか。
私は所沢からはるばる荻窪まで車を走らせてくれた両親に連れられて実家へ帰った。
そして後日、別の病院で再び検査を受けることになるのだ。