34歳会社員がラジオパーソナリティーに転職した話⑦
会社員だった私が、34歳でラジオパーソナリティに転職するようになった経緯を書き連ねている。
あれ、なかなか転職しない(笑)
というのも、突然の病気、人生初の手術などのイベントが立て続けに起き、私のHPは一桁台に落ち込んでいた。
とはいえ「ピンチはチャンス」とはよく言ったものだ。人生最大のピンチはその後の人生の方向を大きく変えるものだった。
前回の内容は、こちらから読むことができます。
34歳会社員がラジオパーソナリティーに転職した話⑥
病理検査の結果
手術から一週間が経つ頃には、尿道カテーテルも外れ、自由にトイレまで行けるようになっていた。
立てた!歩けた!ひとりでトイレに行けた!
できることが少しずつ増えていく。手術前は当たり前にできていたことが何もできなくなり、ゼロからの再スタート。ひとつできるようになる度に自己肯定感が高まっていく。
お腹の傷もくしゃみや咳をするたびにひどく痛むものの、日にち薬という通り、それも日に日に落ち着いていた。
そして、いよいよ医師から病理検査の結果を伝えられる時が来た。
摘出した卵巣の嚢腫が悪性なのか良性なのか。
診察室に入る。
ほんの10日ほど前に悪性腫瘍の可能性があると診断された時と違い、部屋の空気も、医師の表情も柔らかかった。おそらく私自身の表情も同じだっただろう。なぜだろう、突然心が軽くなった手術前夜から、「結果がどうであれ、私は大丈夫だ」という自信に満ちていた。
「よかったですね、良性でしたよ」
よし。
先生のその言葉を聞く前からきっと私の車軸が回り始めていたんだと思う。人生は大きく動き始めていた。明らかにメンタルが強くなっていた。
あとはHPを回復させるのみ。その先は私のやりたいことをやる。言い訳はしない。
私はあの日のことを思い出していた。
悪性腫瘍かもしれないと告げられたあの日、大泣きする私に母が言ったこと。
「治ったら行こうよ。一緒に海外旅行しようよ。好きなことしよう、もっと挑戦しようよ」
もっと挑戦する。やれるわけがないと自分に勝手に限界を作らない。
それから歩行練習に励み、当時勤めていた職場への復帰を果たした。
そしてその後、約束通り母を連れて海外へ。
飛行機が苦手な私が、全くのカナヅチの私が選んだ旅行先は遠く南の島。フィジー共和国だった。
まだラジオに続く道は見つけていないが、次回はフィジーでの思い出話を。