21/09/03|高校生と話して思い直した事
実はひとつ、とある媒体さんから取材を申し込みいただきまして、高校生の記者さんたちからの質問に答えるという経験をさせていただきました。
高校生といえば、もはや自分の年齢の半分くらいの歳。それだけ自分が大人になっている…!ということに戦慄し(こんな大人で大丈夫か…)と不安を覚えながらも、皆さんとは楽しい時間を過ごさせていただきました。普段10代の方と話をする機会がなかなかないので、進路やキャリアについての質問がとても新鮮に感じたのですが、答えていく中でひとつ考え直したことがありました。
今まで「運が良かったから」だと思っていたことも、「何がきっかけでそういう結果になったのか」を言語化出来なければいけない、ということ。
大学受験も就職も映画作りも人脈も、大体のことは最終的に「運」だと思って生きてきたのですが、本当に100%運だけでなんとかなる人間なんていません。結果を良い方に転がすための下準備は必ずあったはずです。
勉強だとか人生上の様々な努力だとかいうものは、打率を上げる作業としてとても重要なものです。受験をした経験がある人はご存知だと思いますが、入試本番前に受ける模試の判定結果、あのアルファベットは打率を目に見える形で示してくれていたものです。しかし、ああいう「打率を目に見える形にしてくれる」機会は大人になったら絶対に得られません。今思うと学生の頃は努力ってやつをやり易かった時代だったんですね。大人になってから、努力の矛先をどこに向けたら良いか分からない時期が確かに私もありました。映画祭の模試とか、欲しいですもん、マジで。映画祭を目指す監督・プロデューサーは、過去の受賞作品(=赤本)をよーく見ることしかできません。なかなかレベルの高い勝負ですよね…。
じゃあ、判断基準がない今現在、何をしたら打率を上げられるんでしょう?
ひとつ、周りの状況をとにかくよく見ることが、私にとってはキーだった気がしています。自分の周囲は今どうなっているか、世の中はどうなっているか、他に作られている作品はどんなものがあるか、皆が困っていることはなにか。まさに『マイライフ、ママライフ』はそうして生まれた企画で、『12ヶ月のカイ』も近からず遠からず、この方式には則っていたのではないでしょうか。
『ゆきおんなの夏』を撮っていた頃は、いわゆる「自分の撮りたいものを撮る」だけの視点しか持ち合わせておらず、結果として映画祭は芳しいものではありませんでした。撮りたいものを撮るのが自主制作作品の一義ではありますが、そこと周囲がかけ離れていては、響くものも響かないのかもしれません。よーく周りを見て、人々から根拠やアイディアを頂いて作品に組み込んで来たからこそ、今この結果があるように思います。
そう考えるとますます、私一人では胸を張れない人生を送っているんですね。
これ、もうちょっとしっかり高校生たちにも伝えたかったわ…
(取材いただいた記事は10月頃に発表になるので、しばしお待ちを)