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人は経験したことしか描けないのか。

こんばんは。
自分の絵で物語を描くのが好きな人間、睦月ロコと申します。

自分の作品を自分で発信することで
目指せブランド化!計画中(予定施工期間10年←長っ)でございます。

まあ、夢は語れば語るほど叶いやすいともいいますから、
語るだけならタダですから、
今後もいくらでも語りましょう。
そしてリアルタイムで失敗も成功も語りましょう。

さて。
なんかまた大それたテーマを表題に掲げておりますが、
たいしたお話ではないのでご安心ください。

作家はだいたい二つに分かれる傾向があります。
自分が体験したことを描くタイプと、
全く体験していないファンタジーを描くタイプと。

某超天才な大ヒットメーカーのレジェンドの女性漫画家が
ご本人が経験してないはずの未亡人の恋愛話を若い頃連載したとき
どうして描けるのか、と聞かれて
インタビューでこう答えたそうです。

「経験したことしか描けないなんて、それは才能がないのじゃないかしら」

もちろんこれは御大が多少のギャグを込めて言った言葉でございます。
ございますが、
なかなか超天才が言うとパンチ力というものがエグいですね…。


ちなみに私はこの両者のタイプに上下は存在しないと思っています。
どちらが守備範囲か、得手不得手か。
そのレベルの違いであろうと思ってます。

思ってはいますが
やっぱ独特な世界観を打ち出せたり、
この人の頭の中はどーなってんだ??と思うようなオリジナリティーの強い作品を作ってるタイプの作家さんは、
どうしても華がある作家さんに見える傾向はあると思います。

私は恥ずかしながら、
自分では「経験してないことを描くタイプ」の人間だと思っておりました。
そもそも素の私は引きこもり要素の強い根暗なので、
生きた年月のわりには人生経験に誇れるものが乏しく、
中身なんてものもなんにもなく、

経験で描けるものが少ないから。
というどちらかというと切ない理由になってしまう気がします


これ使ってないプロットの一つですね…。ファンタジー要素モリモリ。スケール大き目。


そのうち描きたい長編その1。もうちょっとブラッシュアップ図ります。超絶未来の話。

今ちょろっと拾ってきたいくつかのプロットの一部持ってきても
やっぱ「いやーこれ私経験してきたんだよね」
とはあんまり言えないタイプのものではあると思います。

だから、自分は経験してないことを描くタイプの作家なのだ、
と思っておりました。

実際何人かの編集さんなどにも「オリジナリティ強いですね」
と半ばの呆れと半ばの賞賛をいただいたりした気もいたします。
(呆れのほうが強かったかもしれない…)

でも、ふと思ったのです。
経験してないことを描いてるつもりだけど、
実際は自分の分身を産んでるだけなのではないか、と。

ここの記事に書いてるように、
私はイケメンを自覚している人を主人公にすることができません。

なぜかは理屈じゃないんです。できないんです。
この記事の中にも書いてますが、
「属性が私の中にないから」に尽きます。

自分は経験してないけど、
自分の産んだ子は経験をリアルタイムで物語の中でしている。

そういった認識になります。

だから、自分で産めなさそうな子は主人公にできない。
私からイケメンを自覚しているスマートな一軍男子が
生まれるわけがないからです。(言ってて悲しいなオイ)

俺はイケメンだ!ヒーローだ!と自分を奮い立たせてるけど
哀しいかな現実がついてこない(モテない)、
でもその様がなんか愛おしい、
そういった子なら全然産めるんですけど。

あとイケメンを自覚してないイケメンもギリ産めます。
とにかくイケメンを自覚した上でイケメンな言動ができる子は
私のDNAからは算出されない仕様のようです…(あくまで主人公の話です)。

だから、
厳密にいえば私は
「経験してないことを描けるタイプ」でいるようで
「我が子が経験しそうなことしか描けないタイプ」

だと言えるようです。

そして物語に私小説的な要素はゼロのつもりでお送りしておりましたが、
この記事を書いたときつくづく、
あーーーめっちゃ自分の人生毎回作品に投影されてんなあ…。
とも思いました。

経験はそのまま使わないけど、
自分の中で欠けたものや、抱えてる闇は無意識レベルで出てくる。

とどのつまり
ものすごく引いて見ればじゃあ結局エッセイ漫画と同じくくりなのか…?
と思えないこともないような気がしてきます。

エッセイ漫画だってすべてがリアルじゃないですからね。
見せるために「盛って」「演出して」
自分とは違う「キャラクターを作って」みなさん「作品」にしてますから。

でも私が一番尊敬する大クリエイターの宮崎駿監督だって、
常におそらく「亡き母親への大きな思慕」みたいなものが出てくる気がします。

そう考えると
本気で自分の細胞や経験全てから切り離して描ける人というのは
果たしてどれくらいいるのか。
逆に存在しているのか。
したとして、その作品には本当に人物に血肉が通っているのか。

考えてみるのも面白いと思います。

どんなに似てないと思ってもキャラクターって作った人に似てるんですよね。不思議なことに。

最後に私の大好きな宮崎監督が言った言葉で締めたいと思います。

「クリエイターは自分の故郷の土の色を塗る。夕陽の色を塗る。
故郷の自然がクリエイターを作る」

幼少期から細胞が吸収したものが勝手にアウトプットされる面白さ。
これだから創作は面白くてやめられない!
喋るよりも饒舌に、描いてる人の本質まで細胞から垂れ流し状態という面白さ。


でもねえ、うちの子は基本みんな、作者の5億倍頑張り屋のいい子だよ。←親ばか。

ではまた次回ー☆




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