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そろそろ明るい話を描いたほうがいいんじゃないか。
こんばんは。
自分の絵で物語を描くのが好きな人間、睦月ロコと申します。
なんか連続で記事更新して申し訳ありません。
明日からまた数日忙しくなるので書けるときに。
私は人から明るく見られがちですが、
かなり暗い人間です。
一人でいるのが好きです。
基本的に物事を悲観的に見ます。
最悪のシナリオを常に考えてしまいます。
それを想定して最善の行動をする、
みたいな有能な人ならよかったんですが、
「あ、もうダメだ」とすぐに諦観します。
私は幼少のころから漫画っぽいものを描いてますが、
ちゃんとストーリーとして描けるようになったのは
たぶん小学校3、4年生からだと思います。
最初はボーイミーツガールの冒険譚を描いてました。
ラピュタみたいなものを描きたくて。
最初に大長編として完成させたそれは、
たぶん300ページくらいになったかと思います。
ぜんぶボールペンで描いて、
それはもう子供の描く絵だからクオリティは苦笑モノですが、
ただノリとか画風とかはほぼ今と変わってないと思います。
こんな子供のころから長編オリジナル漫画描いてたなんてスゲーだろ
とかが言いたいのではなくて(わかりやすくラピュタの真似でしたし笑)、
私はそういえばはじめて描いた大長編のそれから
一貫して変わらないことがひとつあるなあ、と思って
今つらつらとこの記事を書いてるのですが…。
メインキャラが死ぬ。
これです。
その作品も小学校中学年が描いたくせに、
主人公の少女の護衛役のイケメンを死なせました。
もうこれは絶対殺す、と当初から決めて描いてたので。
そのイケメン、人生悲惨でなにもいいことなかったような子なのですが
めちゃくちゃ優しくて男らしくてでも己れへの無力感に苛まれてて、
少女への恋心とかではなく、
その少女(王家の子でした)への忠誠心で死ぬんです。
もうね、癖が爆発してますね。当時から。
その次に描いた長編も300ページくらいになりました。
小学5、6年生だったかな。
今度は主人公を死なせました。
こっちはあんまり覚えてないんですが(オイ)
とにかく「次は主人公が死ぬ話を描きたい!」
と強く心に決めて描いたのを覚えています。
その後も、この癖は続き、
さすがに直接死にはしなくても
死に急ぐ奴が主人公、
生きる望みを持ってない主人公、
明日を生きる希望よりも今日死んだほうが気が楽な主人公、
みたいなものが量産されてゆきます。
とにかく絶対出てくるのです。
「死にたい男」が。
もうどんだけ毎回擦ってるんだよ!
引き出しそれしかないのかよ!
って自分でも思いますが、
でも作家ってどこかそういうものでしょう。
自分の内面や人生がイヤでも作風に出てしまう。
私はただそこに
絶対に明るい方向を向いてるヒロインを投入して
毎回バランスを図ります。
たぶん、これも自分の内面の投影なのでしょう。
病んでる話をしたいわけではないですが、
どこか絶望している自分と希望へ引っ張り出そうとしてる自分が
内面で拮抗して私を作ってるんだと思います。
何度も言いますが、
言うほど病んではないですよ。
でも死生観って絶対作品に一番現れるとは思います。
あまり自分の話はしないつもりだったんですが、
私は幼少期に父親を亡くしています。
目の前で看取りました。
ちょうど最初の「ラピュタに似た物語」を描き始めた頃でした。
父親は世界で一番私を可愛がってくれた異性です。
背が高く頭がいいカッコイイ父親が私の自慢でした。
(そういえば絵もうまくて、色の塗り方を教えてくれたのも父親です。)
その人が、苦しい中私に微笑んで、亡くなっていきました。
たぶん、この光景が一生、私にこびりついているのだと思います。
考えてみれば、「死ぬ男」「死にたい男」「ヒロイン庇って死ぬ男」
こういったものが量産されるようになったのはそれからです。
暗い話になっちゃってごめんなさい。
やっぱ作品の癖や死生観を語るとき、どうしてもここは切り離せないので
あえてお話ししました。
私は結局父親への恋心を常に創作にぶつけてるのだと思います。
もうこういうのはすべての創作作家に大なり小なりある話だと思います。
モノを創りたい!なんていう欲求は
あくまで私の場合はですが―――満たされてる心理状態から発生するものではあまりない気がするのです。
私の世界にどうしても欠けているものがあって、それは一生埋められない。
だから自分で世界を創って埋めていく。
そうすることでしか埋められないから創作を続ける。
だって創作活動なんて正直本当に「業」そのものです。
やったことがある方ならわかるでしょうが、とにかくただただしんどい。
楽しいもあるけど、圧倒的にしんどい。
そして、あまり報われるわけでもない。
やめようかなと思うことも正直何度もある。よくある。
それなのになぜ続けるのか。
それでしか埋められない欠けたものが自分の中にあるから。
この人の作品こればっかだな…と思われても、
たぶん私は一生続けていくんだと思う。
私はそれで私を保っているから。
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とはいえ。
表題に戻りますが。
そう、
「そろそろ明るい話を描いたほうがいいんじゃないか」と自分に問う件。
業は業でやっていくとして。
表現者の端くれとして、私なりにご時世を見ながら
「これではいかん」
と思うわけでございます。
あまりに悲しい、暗い、絶望的なニュースが多すぎる。
私が悲観論者だからそういうニュースを拾ってるのか?
それとも、みんなこれがデフォルトで合ってる?
今の世の中、子供たちが「はやく大人になりたいなあ」
って胸膨らませるものになってる??
絶対なってないよねコレ。
なんだかんだ暗い作品が流行った時期って
世の中が混とんとしてたとはいっても
そこそこ活力があったんですよ。
暗い話を楽しめる余裕があった。
今求められてるのは、
見ている間だけは気持ちが少しでも明るくなる話や
明るくなるヒーローなんじゃないか。
ていうか、
もしそういうのがあるなら私自身だって見たい。
私自身は微力でも、
ほんの少し照らせるものを創っていく
っていうのは必要なんじゃないか。
私がやるからには
どうしたって根っから明るい話にはならんだろうけど、
それでも、暗い世界に底抜けに明るい奴がいる
っていう話だっていいじゃないか。
と、今すごく問うています。
自分の死生観や癖と、
そのへんが混ぜ合わさったものができたら、
それはそれで面白いですよね。
というわけで、
まだまだ挑戦する余白がありそうです。
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博士とわたしの暗殺日誌第二部も絶対書くからね!
ではまた次回~☆
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