ルームシェア1 ✿チョコレートコスモス✿
「ただいまー」
ルームメイトの有紗《ありさ》が帰って来た。
「あれ? 今夜は彼のとこに泊まるって言ってなかった?」
「うん。急に出張入っちゃったって」
それはいいんだけどさ、ああ、もうテーブルに広げた後だから隠せないな。驚かせたかったのに。
「甘い匂い。葵《あおい》、お菓子でも作ってるの?」
「前に有紗が言ってた花、作ってみようと思って」
「お花? あ、まさか!」
「チョコレートでコーティング」
「やだぁ、葵ったら」
有紗はめちゃくちゃ笑い転げている。
「え、こういうことじゃなかったの?」
私はカフェオレボウルにチョコレートを溶かしたのを入れて、そこに絵筆を浸そうとしていた。
目の前にはピンク色の、よく道端に咲いているコスモス。
さあこれから花びらを一枚一枚塗っていこうとしていた矢先だった。
「ちゃんとそういう品種があるんだよ」
「『チョコレートコスモス』は実在なのか!」
「そうそう。チョコレートっぽい色なの。香りもまるでチョコなんですって」
「てっきり有紗の妄想世界の花だと思ってたよ」
「もう! 私はそんなに乙女じゃないよー。これ、どうするつもりだったの?」
「乾かしておいて、明日のデザートにのせようかと」
「え、コスモスって食べられるの?」
「花ってみんな大丈夫じゃないの? サラダに入れたりするよね」
「あれは食用菊とか、特別仕立てじゃないかなぁ」
知らなかった。うなだれる私に有紗は「ありがと、その気持ちがめちゃくちゃ嬉しい」と笑顔を向けてくれた。
会社の同期だけど部署が違う有紗とは、そんなに接点がなかった。
「有紗とちゃんと喋ったのは、イベントの企画の時だっけ?」
「そうそう。あの三カ月間すっごい残業続いて、毎晩一緒にご飯食べて帰ったんだよね」
「それで、もう実家が遠いから家を出ようかなって言い出したんだな」
「葵もちょうど部屋探してたタイミングで」
「じゃあ、ルームシェア、しよっか、てね」
あれからもう三年が経つ。
私たちは全然性格が違うけど、互いにこの生活を大切にしてきたなと思う。
特に当番を決めなくても、時間のある方が家事を担当して、絶妙なチームワークの良さだった。
次第に料理は私、お裁縫はチマチマ手作りがすきな有紗がリードするようになった。
ああ、そして有紗が選んでくるお花たちやハーブがベランダに並んでいて、見ていると心が安らぐ。
嬉しそうにジョウロでお水を上げる姿も可愛らしかった。
「チョコレートコスモスの花言葉はね、『移り変わらぬ気持ち』。一方で『恋の思い出』と『恋の終わり』なんですって」
彼女は花言葉に妙に詳しい。
まるでその花は私だ。移り変わらぬ気持ち。
一緒に住むようになってからどんどん惹かれていって、気づいたらすきになっていた。断じて下心があって暮らしはじめた訳じゃない。有紗以外で女の子にこんな気持ちになったこともない。
有紗はもうすぐ結婚してここを出て行ってしまう。恋は終わって、勝手に思い出になるだけだ。
こうやって彼女が無防備に私に近づくたびに、心臓がどきりと音を立てる。でも、そんなこと言えやしない。彼女を怯えさせたりできない。
せめてあと数ヶ月を一日一日心に刻むことしか、私には残されていない。
薄紅のコスモス色のようなネイルをしている有紗の細い指に見とれる。
「左の薬指、何号なの?」
聞いても仕方ない質問をする。
「8かな。プレゼントしてくれるの?」
「彼がもうすぐ婚約指輪くれるでしょ」
「誕生石がいいか、ルビーがいいか、迷ってるの。どっちがいいと思う?」
私の気持ちにまったく気づかない有紗は、無邪気にチョコを掬い取って「あまーい」とぺろりと舌を出し、私の心をかき乱す。
甘いのは、あなただよ。メレンゲのようにふわふわ可憐な女の子。
チョコレートで覆ってパリパリにして、閉じ込めてしまいたかった。本当はコスモスじゃなく、有紗を。
ずっとずっとそばにいたかった。
✿ 完成した動画です ✿