愚劣な平均人

 昔の夢を見た。小学生の頃の夢だ。

 私が授業中に熱が出て保健室で休み、そのまま中退した次の日のことだった。
 
 私たちの引き出しやロッカーは、プライベートな空間であると同時に、その気になれば誰もが覗くことが許されているもの。病気になって中退した者がいると「その人のために必要なものをまとめておいてあげる」とか、そういう口実をえて、嬉々として人のそういうところを漁ろうとする人間がいる。

 朝っぱらから、私の書き溜めていた詩や日記、物語が私の机の上に放り出され、回し読みされていた。
 正直、頭のいい私は、少々からかわれるくらいのことは覚悟していた。でも、そんな何の躊躇もなく、人の恥部を好き放題弄り回して、それに抵抗も覚えない人間ばかりだとは思わなかった。

 私のことが嫌いだった子が、私のノートのあるページを開きながらニヤニヤと笑いながら近づいてきた。それは、私が試しに書いてみた、英語のラブレターだった。別に誰に送るつもりでもなく、英語を習ったばっかりだったから、そういうのが書けないかと試してみていただけだった。
 でもそれを指刺され「I love youとか真面目に書いちゃって」とか「こんなの貰ったら惚れちゃうわ」とか思いつく限りの侮辱を彼女は面と向かって私に言って、周りの人間はそれを聞いて笑った。何の呵責もなく笑った。
 私は心底腹が立って、無理やりそれを奪おうと考えたが、そんなことをやったって余計惨めになるだけだ。だから私は、気にしないようにして椅子に座った。

 先生がやってきて朝の会が始まると、先生が異常に気が付いた。いつもよりも教室が、にぎやかだったからだ。どうしたんだ? と聞くと、私のロッカーから面白いものがたくさん見つかった、という話になった。そして、先生もそれを見て、笑い始めた。
 「これは面白いね」と。
 私とは目を合わせようともせず、ただただ、私のやった色々な実験を見て笑い、時々顔をしかめては、また笑った。
 「どうしてこんなの書いたの?」
 そんな無邪気な質問をにやにや笑いながら私に問いかけて、私は仕方なく無言の愛想笑いで返した。悔しかった。

 その後、何もなく授業がはじまり、しばらくは私はそのことでずっとからかわれたが、そのうち皆忘れ、その事件のことを覚えているのは私だけになった。
 元々私は、他の子たちよりも怒ったり泣いたりすることが少なく、自分の意見をはっきり言うタイプの人間だったから、多少笑われたり、侮辱されたりしても、怒ったり泣いたりしないと彼らは無自覚的に判断していたのかもしれない。

 そんなわけない。思い出して枕を濡らしたことは、一度や二度じゃ済まない。私は自分が侮辱されたことにひどく傷ついたし、あのとき言われたことに、どうやったらうまく反論して黙らせることができるかと、いくどもいくどもシミュレーションした。
 でも結局のところ、人を黙らせるには、危険性を暗示するか、あるいは道徳性に訴えるしかない。だが結局そんなことをやってしまえば、彼らの方が強い力を持っている以上、私の意見が通ることはありえない。

 それ以来だったか、それとも、その以前からずっとそうだったかは覚えていないが、芸能人の恥ずかしい過去を明るみに出す、みたいなテレビ番組は、昔からずっと人気番組として一番馴染みのある時間帯に放送されていた。
 私はそれを見て、つらそうな表情をしている出演者と、それを見て笑っている別の出演者、及び、私の家族が、どうにも、どうしようもないほど低劣で愚劣な人間たちに見えた。

 こいつらは、軽蔑されてしかるべき連中だ。人に恥をかかせることが、どれだけ非人間的で、動物的で、心の貧しいことか、彼らは全然自覚していないし、その楽しみを自分に制限するつもりも一切ない。
 そのくせ、何かが自分たちを害するようなことをしたり、ルールを破った場合には、偉そうな口で道徳を語る。
 道徳によって滅ぼされるべきは、むしろこいつらではないか? 私はこいつらから、こいつらの下品な楽しみを全部奪ってやりたい。人の恥部をわざわざ明るみに出して、馬鹿にして、嘲笑って、しかもそれを自分たちの正当な権利かのように考えている。

 人の不幸を喜び、笑うのは、それだけで罪だ。お前らを喜ばせるために、人を不幸にしようとする連中が山ほど出てくるからだ。
 私は連中の無感覚と善人面がどうしても許せない。お前らが道徳を説いたり、あるべき人間の姿を説いているのを見ると、お前らの眼前に、お前らのやってきた不正を持ってきて「これでもまだ同じことが言えるのか」と問い詰めてやりたくなる。
 だがそのような行為や欲望は、単なる復讐であり、もしそれが達成されて、それによって私が喜んでしまえば、ただ立場が逆転するだけで、私自身が、その欲望と喜びのとりこになってしまう。

 だから、私は……忘れようとしてきたのだろう。


 だから、不意に夢を見て、明瞭に思い出して、こんなにも不快になっているのだろう。


 人間の愚劣さを表現するのは私の趣味ではない。分かっているが、でも結局人がもっとも容易く集うのは、敵意によって、だ。

 もし私が人を集めたり、あるいはこの世の中を変えようと思い立ったなら、この経験と、この人間の在り方は、確かに武器になる。
 意図的に恥をかかせないこと。人の恥や傷を笑わないこと。笑うことがあっても、隠れて笑うこと。決してそれを、当然の権利だと思わないこと。

 でもきっと、そんな生き方は息苦しい。それも分かってる。

 結局私の人生は矛盾だらけだ。私だって、誰かの恥部を笑ったことがある。何度もあることだろう。その私が、自分がそんな目に遭ったからと言って、いきなり意見を変えて、他の人間のそういう喜びを全否定しようとするのだから、人間というのは本当に愚かで、どうしようもない生き物だ。

 でもこの問題に関しては、見なければ済む話だ。人から笑われず、人を笑うこともしないためには、人と関わらなければいい。静かに自分自身を楽しんでいればいい。

 心底嫌いだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?