「無根拠な自信」崇拝をやめよう

 「無根拠な自信」が、人間の作業のパフォーマンスを向上させるのは確からしい。
 「どうせ無理だ」と思っている人間と「私はできる」と思っている人間とでは、後者の方がいい結果が出る。

 しかし私は、実のところそのデータには落とし穴があるのではないかと思う。
 というのも「私はできる」が、能力を向上させているのではなく「どうせ無理だ」の方に問題があって、それが本来の能力を低下させているだけで、「私はできる」は「私は分からない」と変らないものなのではないかと思うのだ。

 私は「できるできる」と思い込んでやったときと「できるかできないかはやってみないと分からない」と考えてやったときでは、後者の方がうまくいくことが多い。
 「無根拠な自信」に基づいて行動している場合、改善すべき場所から目を逸らす傾向にあり、細かい調整が効かない。
 対し「わからない」という態度であるならば、うまくいけばただ嬉しいし、うまくいかなければ「どうして?」と自動的に分析できるから、それが一番目的の達成に直接結びつく態度であると思う。

 人は考えることをサボリがちだ。「人間とはそういうものだ」とただ開き直るのではなく「確かに私は考えたくない時、考えないことが多い。でも考えるべき時は、考えていたいと思う」と、上手に自分を整えていたい。

 何事も、色々試してみるのがいい。無根拠な自信は、失敗から目を逸らしたり、アドバイスに耳を貸さなくなったり、他にも危険が多い。それでうまくいったとしても、それがまったくの偶然で再現性がなかったりすることは多い。

 そうではなく、落ち着いて、現実を見据えること。自信を持とうとするのではなく、不安を消し去ろうとすること。

 能力を上げるのは自信ではなく、不安の減退であると思う。確かに自信は不安を和らげるのに役立つが、根本的な解決にはならない。
 不安自体の根源を探ると、そこに無知があるのに気づくはずだ。しっかり調べて考え抜けば「とりあえず全力で試すしかない。そうじゃないと分からない」という、自信以上に強い開き直りを得ることができる。

 私は「無根拠な自信を持つこと」を勧めない。
 代わりに「柔軟な開き直り」を勧める。

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