急いで形にしようとするからダメなんだ
光が逃げていくのを感じた。追いかけて、記憶して、記録して、あとでそれを形にしようと思えば思うほど、その形がおぼろげになって、記憶から逃れようとしていくのを感じた。
自分が意志と欲望を用いて、見たいものを見ようとすればするほど、無意識が私に見せてくれる美しい景色は逃げて行ってしまう。美しいものはいつだって臆病で、自分を捕えようとする者や、下心を持って近づいてくる者のことは嫌いなのだ。
私は他の人より私利私欲の弱い人間だ。だからこそ、直感に恵まれてきた。私自身が見たことのない美しいものが、私のそばにやってくることが多かった。それが私から離れて行っても、私はそれを追いかけなかったし、それを捕らえて自分のために利用しようなんて思っていなかったから。
ただ自分がそれをひとりで感じて、楽しむためだけに、それを見ていた。だからそれは、昔から私の友達でいてくれたのだ。
頭の中で音楽が鳴り響いたとき、その音とメロディーに体と心を委ねなくてはならないのに、それを無理にぼやけた頭で「覚えておこう」とするから、失敗するのだ。
起きている時、それが自然と思い出せるようになるには、そのメロディーを心から楽しまなくてはならない。楽しみを抑えて、喜びを抑えて、しかめ面でそのメロディーの音をなぞろうとしてはいけなかった。
虚栄心は私の悪徳だ。焦ってしまうのは私の悪徳だ。時代の悪徳かもしれない。
皆が駆け足で生きている。
「時間は有限だ」「あっという間に人生は終わってしまうぞ」「価値ある人生を歩まねば」
しかめ面が美しい人の美しさを台無しにしてしまうように、そのような必死さは私たち人間を醜いものにする。どうせ無駄な人生しか歩めないのなら、開き直って明るく生きていた方が綺麗だし、自分自身も、周囲の人間も、自分のことで楽しんでくれる。
必死になることは悪いことではない。でもその必死さは、子供が遊びに夢中になるような、無邪気な必死さであるべきだ。失敗しても、全力で泣いて、全力で悔しがって、そのあとは忘れてしまうような、そういう心配のいらない必死さであるべきだ。
私は私の一番美しいアイデアを捕らえて自分のために利用するのを諦めよう。いそいでスケッチするのはやめて、その動物が私のそばで安らかに眠るようになるまで、ふたりの時間を大切にしよう。
もし私が、それを描きたいという欲望を忘れることができて、ふたりでいる時間が長くなって、ある時に「そういえば」と思い出し、そのときはじめてそれを描いたなら、きっとうまく行くことだろうと思う。私がその動物のことを誤解してしまうこともないだろうし、動物も私のやっていることに恐怖して逃げていくこともないだろうと思う。
もっとじっくり、時間をかけて自分と付き合おう。
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