その考えは、私を苦しめる
人にはそれぞれ別の役割があり、自分が絶対にしたくないような仕事を好き好んでやっている人もいる。
その考えは、私を安心させる。
人にはそれぞれ持つべき思想があり、自分が絶対に持てないような思想を好き好んで持っている人もいる。
その考えは、私を安心させる。
役割と思想が違うなら、棲み分けは正当化される。そして人は、自分の棲んでいるところで、自分の本分をまっとうすればそれで十分だ。それ以上のことは、不必要だ。
その考えは、私を安心させる。
私は他の人とは違うものを持って生まれた。悲しいほどに、分かち合えるものがない。
「そうであるべきだ」と答えることが、傲慢に響いてしまう。でも、そうじゃないんだ。ただそれは、私は私の本分を全うするために、彼らの方を向くのをやめるということなのだ。
私は、知らないでいたかった。知らないでいられる人を羨む。自分にない醜さや愚かさのことは、考えたくなかった。
殺人も強姦も戦争も、私とは少しも関係のない事柄のはずだった。だって私は、それに喜んで参加することもなければ、巻き込まれそうになれば、全てを犠牲にしてでも逃げ出すような人間なのだから。
私には役割がある。私には私のすべきことがある。だから、それ以外のことは知らない。
その考えは、私を安心させる。
私には強い共同体としての意識がある。それは地域でも国家でもなく、人類としての共同体意識だ。私たち人間は全て本質的に繋がり得る。なぜ、言語や血で繋がらなくてはならないのか? 私には分からない。精神はこんなにも共通しているのに。
性質は、どの地域の人間も大差ないというのに。
私は、自分だけ、自分たちだけ、利益を得ようとする人の気持ちがよくわからない。
それはきっと、私が何もしなくても多くを与えられて育ったからかもしれない。争いやはかりごとをする必要もなく、人から愛されてきたからかもしれない。
私は平等主義など信じないが、皆がより豊かになってほしいと思っている。豊かな人の方が、健康的で、美しいのだから、皆がそうであれば世界全体がより豊かに、美しくなる。私はそれを求めているだけだ。
皆が同じである必要はない。ただ皆が幸福であってほしい。それぞれの幸福を甘受していてほしい。
それなのに、他者と相いれない幸福を望んでいる人たちがいる。他者を言いなりにしたり、思い通りに事を運んだり、人を痛めつけることに喜びを覚える人たちがいる。私たちは、そういう人たちを見ると、私自身の願望が己の矛盾にもだえ苦しむ。
そういう人たちを見ると、私の思考はぐちゃぐちゃになる。どろどろになる。私の美しさを望む気持ちが叫び声をあげる。
「あの連中は死ぬべきだ」
この世には、死ぬべき連中が山ほどいる。
その考えは、私を苦しめる。
どんなに低劣な連中にも、存在価値はある。
その考えもまた、私を苦しめる。
連中にまつわる全てのことが、私を苦しめる。連中のひどい過去も、同情に値する受けた仕打ちも、復讐心も、なけなしの愛情も、全部が私を苦しめる。
私にもっとも遠いのは、もっとも愚かな人じゃない。愚かさにも、価値はある。それは受け入れられる。
私にもっとも遠いのは、もっとも悪い人じゃない。悪さにも、価値はある。それも受け入れられる。
私にもっとも遠いのは、もっとも……醜い人だ。何をやっても、全てを台無しにするような人だ。私が、どうあがいても、その存在を受け入れられない人だ。私の精神を汚していく人だ。
連中を許せない。そして……その連中と関わった人たちは、精神がその連中の手で汚れていることに気づかず、私に触ろうとする。体を洗ってから来てくれているなら問題はないけれど、この社会は人が多すぎて、洗っても洗ってもまた汚れる。
その考えは、私を苦しめる。
私には私の地獄がある。連中には連中の地獄がある。それは別の地獄だ。だから、私とは関係のないことだ。
その考えは、私を安心させる。
連中と関わっている人とも、私は関わりたくない。
しかしその考えは、私を苦しめる。
病気を一掃したい! 連中を燃やし尽くしたい! でも……ダメなんだ。もしそれが肯定されるなら、燃やし尽くされるのは私たちの方なのだ。だってそうだろう? 今は……高潔な人間よりも、卑劣な人間の方の数が多く、力も持っている。
私たちは連中と戦えない。
その考えは、私を苦しめる。