個人主義者だけど共同体意識は強い
自己分析のコーナー!
私は基本的に個人主義者で、社会や国家は全て個人の各個人の生活をよりよいものにするために存在すべきだと考えている。(あくまでそれは、私の政治的態度に過ぎない。だから、私自身の生活や環境が変われば簡単に変わる、脆い思想だ)
しかし私は、どのような場においても自分が人類の一員であるという自覚をもって生きている。七十億あまりの現代人だけでなく、過去に生き、死んでいった人々とこの先生まれて死んでいく無数の人々を合わせて、全ての人類という広く大きな繋がりの中の一細胞であるという感覚をもって生きている。(この感覚は非常に確からしく、私は自分が世界と歴史に密接に結びついていることを強く感じている)
これはあくまで感覚なので、思想とは少し違うような気がする。それ自体は、理屈から産み出されたものではなくて、ただただ「そう感じる」のである。
私は、世界の一部。人類の一部。私の役割は、世界と人類に奉仕すること。でも奉仕するためには、自分を大切にしなくてはいけない。細胞が、全体のためにその細胞に向いていないことを勝手にやってダメになっては、それこそ全体のためにならない。細胞は、己の本分を理解し、それに集中することによって、結果的にもっとも大きな利益を全体にもたらす。
だから、どちらかといえば、私が個人主義者なのは、そのような世界的、超時間的な全体主義的思想の副産物なのである。(全体主義というと国家中心主義を思い浮かべるから、ここでは全世界主義的、全人類主義的、と言った方が誤解を招かなくていいかもしれない。シンプルにコスモポリタニズムとしてもいいけど……それとはちょっと違う気がしている)
人類の歴史をよりよいものにするには、人類のひとりひとりが、その人間の能力をその人間が望むように使うのがいい。あらゆる善も悪も、それが豊かかつ強力であればあるほど、素晴らしい事実と幸福を産み出す。
私は、人類すべてのために、全ての個人が尊重されるべきであると考えて生きている。
太陽は太陽系の中心であるが、宇宙の中心ではない。地球は、宇宙にとっての中心ではないが、私たちにとっての中心であることは疑うべくもない。
人間の生き方も、それと似たような感じでいいのだと思っている。
私にとっての中心と、他の人にとっての中心は異なっていていいし、むしろ異なっているべきなのだ。
それでこそ、世界は美しい。