ガストロノミーツーリズムが抱える課題と提言
近年、急にガストロノミーという言葉が使われ始めたような気がする。意識を向けるようになったから気がつくようになっただけなのか、それとも本当に最近になって言い出し始めたのか。よくわからないのだけど、主観的には新しい潮流みたいに見えている。
特に、ガストロノミー単体ではなくツーリズムとして語られるケースが目立つ。
旅行商材としてのガストロノミー
なぜ「グルメ旅」や「食べ歩き」ではなく、ガストロノミーツーリズムなのか。もちろん、意味もなく名前を刷新したわけじゃなく、理由がある。
国土交通省観光庁のホームページに「ガストロノミーツーリズム」の定義が記されている。
その土地の気候風土が生んだ食材・習慣・伝統・歴史などによって育まれた食を楽しみ、食文化に触れることを目的としたツーリズムのこと。
例えば、ジェットコースターやメリーゴーラウンドなどの「アトラクションそのもの」を楽しむのが「グルメ旅」。これに対して、ウォルト・ディズニーが「カリブの海賊」というアトラクションを通して伝えたかったメッセージに思いを馳せたり、彼がそのメッセージを伝えたいと思った背景としての社会情勢や歴史を学んだり、彼の人柄やカリブの海賊が出来るまでのストーリーなど、「アトラクションの奥にある営み」を楽しむのが「ガストロノミーツーリズム」だ。
最近、ガストロノミーツーリズムと銘打った事例をいくつか見ているのだけど、ちらほら「グルメ旅」が紛れ込んでいる。一番多いのは、「生産現場を巡ってからそれを使った料理を料理店で食べる」というパターン。
アトラクションの例で言えば、「カリブの海賊“建設”物語」ということになる。人形や船の制作現場を訪問して、それがどのようにして作られているのかを知る。時に人形の色つけ体験などもあるかもしれない。
とてもおもしろそうだ。
だけどそこには、ウォルトの思いも、ディズニーらしい伝統文化や歴史背景もそこには無い。
コンテンツの濃度と届ける先
「食をテーマにした旅」は、いろいろなパターンが有る。グルメ旅も生産現場巡りも文化体験も、どれが良くてどれが悪いというものじゃない。それぞれに特徴があって、マーケットサイズも違えば顧客とのエンゲージメントも違うというはなしだ。
コンテンツが濃厚になるほど、マーケットサイズは小さくなる。その代わり、ディープなつながりを作りやすくて、リピートや友達に伝えるなどの行動に繋がりやすい。逆にライトなものは誰でもとっつきやすからマーケットサイズは大きい。その代わりインスタント消費になりやすいから記憶に定着しにくいし、リピートは望めない。
これまで、日本の多くの観光事業はライトコンテンツをボリュームゾーンに届けることを軸足にしてきた。そして、その戦略は間違っていないのだけれど、商品ラインナップとしてめちゃくちゃバランスが悪い。ライトコンテンツを量産した結果、一時的にオーバーツーリズムを発生させたし、すぐに飽きられてしまう。飽きられてしまうから、旅行商品を提供する事業者は別の旅先を提案しなくちゃいけない。
まるでショート動画を量産し続けて疲弊するyoutuberみたいだ。
動画ならまだ良い。一番疲弊するのは地域そのものだ。旅行会社が他の地域を中心に商品展開するようになれば、地域に訪れる絶対数は減る。観光客を見込んだ投資をしたあとならば、残るのは無用の設備であり、それは後々負の遺産となっていくこともある。
ライト消費が持続可能な地域は、限られている。疲弊しても雨後の筍のように対応できる事業者が現れる。わかりやすい面白さがあるから次から次へと新しい観光客がやってくる。そう、今の浅草が向かっているのはこの方向。外国人だらけに見えるのは、外国人が増えていることと同時に日本人が減少しているわけだ。
日本人観光客がどれほど減少しようと、それを上回るほどの外国人観光客がやってくる。そうした混み合った環境を日本人観光客が嫌がっているから浅草に来なくなったという記事をみかけたことがある。それは一部ではそういう声もあるだろうけれど、そもそも混み合っているだけなら外国人観光客が来なくても日本人だけで混雑するような人気スポットなのだ。ただ、文脈を知らなくても楽しめるようなライトな、外国人向けのコンテンツが増えすぎて、結果としてもう少し濃度の高い楽しみを求めていた人たちが離れていったのだと見ている。
どんなコンテンツを、どんな客層に、どのように届けるか。という、とても当たり前の話。
観光産業全体として考えると、ライトコンテンツはたくさんあるけれど、コアでニッチなコンテンツが圧倒的に不足している。濃厚なインサイトを得られるようなコンテンツを求める人達が、特に地中海周辺国を中心にたくさんいるのだが、その人達を満足させられるガストロノミーツーリズムが少ない。
コアなコンテンツこそが最上だと言いたいわけじゃなくて、このジャンルが決定的に不足しているから、全体的にみてバランスが悪いのじゃないかという主張である。
だから。
本格的なガストロノミーツーリズムが必要なのだ。
と考えている。
プロモーションのミスマッチ
本格的なガストロノミーツーリズムのマーケットは限定的だ。マス向けのプロモーションをしても響かない。見た目だけが派手な料理の写真を使ったプロモーションをしても、本格派の人たちは「これは私向けのコンテンツではない」と判断されることがある。内容が食文化オタクの心に突き刺さるようなものだったとしても、だ。
コンテンツのオタク度と、プロモーションは常に連動する。
地域の観光施設を回遊してもらいたいというのは、全国各地の自治体が考えることだ。そのために取られる手法としてスタンプラリーがある。やり方にもよるのだけれど、大抵の場合は回遊してもらえないのが実情だ。気になる写真がパンフレットに乗っていればそこを訪れることはするだろうけれど、それだけだ。A地点からF地点までのポイントを作ったところで、A地点だけ、D地点だけ、つまり気になる“点”を見て終わり。
よくわからない回遊ポイントより、もっと人気の目立つ観光施設へ早く移動したい、というのが観光客の心情だ。よほど回遊そのものに楽しみや意味を見出さない限り、隣町の有名なビュースポットにはかなわない。そして、移動したいという心理があるからには、列車やバスの時間が気になりだす。気になりだしたら、もう回遊したいという気持ちが起きない。そんなところだろう。
逆を言えば、オタク度の高いお客様に濃厚なコンテンツの存在を知らせることが出来ていれば、スタンプラリーなどを行わなくても勝手に回遊するのだ。スタンプラリーにかけた経費はまるで意味がない。
ならば、ニッチなコンテンツをどうやって伝えるかに時間と労力をかけたほうが良い。そもそも、濃厚でニッチなコンテンツは「わかりにくい」「伝わりにくい」のが定番だ。ニッチな客層にしっかり刺さるプロモーションを考えることに注力すべきだ。というのがぼくの持論である。
個人的にはかなりマニアックな歴史の講演会は大好物だ。しかし、もっとライトなものを求めている人にとっては完全にオーバースペックであり、聞こえてくる感想は「つまらない」「わからない」である。
それでも、1万人来てくれれば数人の新しいファンを獲得できる。という狙いなら良いかもしれないが、その場合は多くのマイナス意見を無視し続ける精神力とコンテンツの持久力が必要だろう。
ツアー企画の最大の課題
さて、こうした整理をしたうえで突如として眼の前に現れる最大の課題は「学び」だ。
ガストロノミーツーリズムを提供しようとしている人たち自身が、ガストロノミーという学問についてあまりにも知見が少ない。ガストロノミーツーリズムとグルメ旅の違いについて、自分なりに考察してもいないし、地域の食に関する歴史や思想や社会環境について調査もしていない。
材料の選択肢がとても少ないから、結果として作ることが出来る料理が1種類しかない。だから、地域でそれなりに知名度のある生産者と料理人を組み合わせてガストロノミーツーリズムと称して販売するより他にやりようがないのだ。
もっとたくさんあるはずの地元のガストロノミーを把握していれば、コンテンツを企画する際にはどれとどれを組み合わせるのがよいか、どれを見せてどれを見せないか、という悩みが発生することになる。豊富な食材があればどのようなコース料理に仕立て上げるか、自由度が高まるし、クオリティコントロールも可能だ。
ガストロノミーツーリズムをコンテンツとして商品化するのであれば、そもそもガストロノミーを学ばなければ話にならない。なぜって、ガストロノミーとは学問ジャンルの名前だからだ。歴史旅を企画するのに、まったく歴史を学ばないなんてことがあるのだろうか。せめて、観光スポットになっている寺社や城に関する歴史の概要くらいは学ぶだろう。
プレイヤーの不足
ガストロノミーツーリズムを商品化する上で、もう一つ足りないピースがある。それは人だ。
食を通じて普通の人たちのいつもの暮らしを知る。人の営みを知ったり体験したりすることは、実に楽しい出来事だ。地元の人達が日常的に利用している市場や食品店は、観光化されたお土産物屋さんよりも楽しいと感じる人達がいる。生活用品が揃うような商店街を歩くのもまた同じだ。ガストロノミーツーリズムというのは、食をテーマにそういう楽しみ方をするものでもあると考えている。
そうなってくると、市場の人や飲食店、一次産業、食品加工業の人たちの協力が不可欠だ。彼らが自らの意思で「やりたい」「やろう!」という覚悟を持たなければ成立しないのである。つまり、関係者には内発的な意欲が求められる。もし、「儲かるから」「頼まれたから」という理由だけで参画すると、どこかのタイミングで離脱することになる。
どこの市町でも見られることだけれど、挑戦的な取り組みは毎度おなじみのメンバーで構成されることがある。それは、誰かに声をかけられたときに、内発的な意欲を持てる人が限られているからだろう。すなわち、いつでも準備ができている人が少ないということである。
内発的な意欲。これは、簡単なことではない。
自らの意思で行動することが求められるからだ。誰かに言われたからやる、では駄目なのだ。
これに関して、600以上の農村を復興させた二宮金次郎が提唱していることが参考になる。彼が提唱したのは「芋こじ」だ。
「芋こじ」というのは、水を張ったたらいの中に芋を入れて棒や板でかき混ぜる「芋を洗いう行為」のこと。かき混ぜているうちに芋同士がぶつかったりこすれ合ったりしてキレイになっていく。時にはなにかの拍子にたらいから飛び出してしまうことがるけれど、拾ってまたたらいにもどしてやる。金次郎はこれになぞらえて「話し合い」のことを「芋こじ」と呼んで推奨したのである。
芋こじでは、あまり細かな課題をテーマに設定しないという。それどころかゴールやアウトプットも求めない。村を良くするにはどうしたらいいか、という大きな問いをすえて、ただ集まって話し合うだけ。毎月そういった場で話し合っているうちに、少しずつ自分たちの力で立ち上がろうという意識が芽生えていくという。
地道で時間のかかることではあるけれど、最も効果的な取り組みである。芋こじの考え方を知ってから世間を見渡してみると、知ってか知らずか同様のことを行っていたという事例を見つけることが出来る。先の大震災から復興していった地域でも、やはり芋こじ的な話し合いの場があったそうだ。
おわりに
ざっと簡単にまとめたつもりだけれど、これがぼくの考える「ガストロノミーツーリズム」という取り組みに対する課題。
ガストロノミーシンポジウムというイベントを企画したのはこういうわけだ。これをフックにして、「食と社会」をテーマにした芋こじの場と、そこで生まれるはずの緩やかなコミュニティを形成したいと思っている。
これらは、個人の見解であるし、思想のはなし。
他にも意見はあるだろうと思うから、コメントしてもらえるととても嬉しい。
最後に。
もし、必要ならガストロノミーツーリズムに関する相談講演も受け付けようと思っているので、ニーズがあればご連絡ください。
あと、有料にしても良い内容だと思ったけど、多くの観光産業に関わる人に届いて欲しいので無料公開にしました。カンパしてくれる人だけ記事を購入してくれたら嬉しいです。
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