【短編とあとがき】産土(うぶすな)さん
産土(うぶすな)神社
産土神は、神道において、その者が生まれた土地の守護神を指す。その者を生まれる前から死んだ後まで守護する神とされており、他所に移住しても一生を通じ守護してくれると信じられている。
産土神への信仰を産土信仰という。(Wikipediaより)
*
ぼくが5才くらいの頃のことだ。
ぼくは夕海(ゆうみ)という女の子と幼なじみだった。近所の裏山にある神社がいつもの遊び場だった。
そこは、青銅の鳥居がある小さな神社で、境内で鬼ごっこをしたり、神社の縁の下の砂地にたくさん造られているアリジゴクに、蟻を落としてみたりといろんな遊びをしていた。
ある日の夕暮れだった。
「あ! ショウちゃん、ビー玉が落ちてる!」
夕海が指差した方を見ると、ご神木としてしめ縄がかかっている銀杏の大木の根元に、青色とオレンジ色のビー玉がふたつ転がっていた。
ふつうのビー玉よりも色が濃く、青は晴れ渡った空の青、オレンジ色は夕暮れのグラデーション。そして、まんまるではなく、一か所だけ少しとがっている。
「きのうは、なかったよね、だれかが落としたのかなあ」
「でも、ここにはあんまり、ほかの子はこないよね」
ぼくたちが、しゃがんでじっとビー玉を見つめていると、後ろから声が聞こえた。
「それは産土(うぶすな)さんがくれたのよ」
振り返ると、日傘を差した女の人がぼくたちを見おろしていた。
「ふたりは、この神社の神様の近くで生まれたでしょう。そういう子に一生に一回、ここの神様が贈り物をくれるみたい」
「え、じゃあもらっちゃおう」
「やった!」
ぼくは青のビー玉を短パンのポケットに、夕海はオレンジ色のビー玉をスカートのポケットにそれぞれいれた。
「心から会いたいと願った人がいたら、このビー玉を持って神社で祈れば、一度だけ会えるの。私も願いが叶ったのよ」
と、女のひとが言った。
そのあとはぼんやりとしてあまり覚えていない。
いつのまにか女の人はいなくなって、ぼくたちは日暮れを告げる、夕焼け小焼けのメロディに追われるように、家に帰った。
『心から会いたい人』なんて、芸能人とかヒーローとかしか、その時は思いつかなかった。
そしていつしかぼくは、宝物入れにしていた鳩サブレの黄色い缶にビー玉をしまいこんで、忘れてしまった。
夕海は中学三年の時に、父親の転勤で遠くへ引っ越しが決まった。
引っ越しのトラックのそば、制服姿でたたずむ夕海がちらっとぼくを見た。
さようならは言わなかった。思春期だったから、言いたいことなんていつも言わないことにしていたんだ。
*
二十歳の時、小学校の同窓会で夕海と再会した。
昔話に話がはずんで結局つきあうことになり、五年後に結婚した。
一度、産土(うぶすな)さんの話をしたことがある。
「うぶすなさんからもらった、『心から会いたい人に会えるビー玉』まだ持ってる?私はなくしちゃった」
と、夕海は言った。
「ぼくはたぶん実家にあるな。懐かしいな」
「私が引っ越した時、会いたいって願ってくれなかったんだね」
「いや、ビー玉のことは思いつきもしなかった……」
「ひどーい。私は初恋だったのに」
夕海は笑って、ばんばんぼくの腕をたたいたっけ。
ぼくたちは小さなケンカもしたけど、どちらともなく他愛のないことを話し始めたりして、すぐに仲直りできた。病める時も健やかなる時も。こんな日がずっと続くんだ。そう思っていた。
そうして、結婚から一年経った六月、雨の日。
夕海は買い物の帰り、信号無視の車に轢かれてあっけなく逝ってしまった。
目まぐるしく葬式を済ませ、初七日が過ぎ。四十九日も終えて。何も手につかず、暗闇の中をさまよう毎日。毎日、焼けつくような胸の痛みで目が覚める。
君が、どこにもいない。
そして今日、ふいに思い出したのだ。
心から会いたいと願えば叶う、産土さんがくれたビー玉を。
まんがいち、会えるかもしれない。いや、信じてはいなくても、もはやそれにすがるしかない気持ちだった。はやる思いで実家に帰った。ドアを開ける。
「将太、どうして」
母が息をのむ。
びっくりするのも無理はない。四十九日が終わって、ひとりアパートに残るぼくを心配し、母はしょっちゅう電話やメールをくれていた。でもぼくは無気力で気のない返事しか返していなかった。そのぼくが血相を変えて実家に飛び込んできたのだ。母に申し訳なく思いながらも、返事もそこそこに二階へ駆け上がった。
ぼくの部屋は、半分物置のようになっていた。
押入れは客用布団やら季節ものの家電に占領され、目当ての箱はなかなか見つからない。ようやく、段ボールの奥に鳩サブレの黄色い缶を見つけた。
四角い缶を開けると、川原の白石やガチャポンで集めたアニメフィギュア、友達からもらった日光のキーホルダーに隠れるように数個のビー玉があった。
その中から、空を映したような青いビー玉を取り出す。
一か所が、つん、ととがっている。握りしめて、階段を駆け下りる。
心配そうに、なにか言いたそうな母親に、
「だいじょうぶだから」
と、何がだいじょうぶかわからないが声をかけて家を飛び出す。
少し離れた裏山の神社に向かって走る、走る。
鬱蒼とした森の入り口に鳥居が見えてきた。
鳥居の向こうには神社の境内が見えるはずなのに、ぼんやりと光る霧がかかっている。僕はビー玉を握りしめて駆け寄る。
ちらっと、夕海が見えた気がした。
「おーい、おーい、夕海!」
ぼくは必死に呼ぶ。入り口に着き、青銅の鳥居に右手をかけて息を整える。鳥居はひんやりと冷たい。
眼の前はおぼろな霧。
その霧の中に、人影が浮かび上がる。
幼い男の子と女の子、そして傘をくるくると回している後姿の女性。
女性は幼いふたりに、
「それはうぶすなさんがくれたのよ」と言っている。
「え、じゃあもらっちゃおう」
「やった!」
ふたりは顔を見合わせて笑っている。
「お姉さんもなにか、もらったの?」
「そうよ。そして願いは叶ったの」
女性は傘を閉じ、右手を開いてビー玉を二人に見せた。
女の子が「わー、私と同じ」と手のひらを開く。
夕陽を閉じ込めたような濃いオレンジ色が、それぞれの手の上できらめいている。
「夕海!」
思わず呼びかけると、幼いふたり……5才のぼくと夕海はしゅっと霧の中に消えて、ひとり残った女性が振り向いた。
あの時の女の人は夕海だった。
さしていたのは、日傘ではなく雨傘だったんだ。
はねられた瞬間、夕海の魂は時を越えてここに来た。
ぼくは夕海への愛おしさに苦しくなる。
「ショウちゃん、会いたいって、 願ってくれてありがと」
夕海は微笑んで言う。
「私は、実はもっと前に願いが叶っていたの。同窓会前に、ショウちゃん来ますようにって、この神社にビー玉持って祈りに来たんだよ」
「夕海、ぼくは」
「もう行かなくちゃ。きっと、また会えるわ」
そういうと、夕海は自分のビー玉をぼくのてのひらにころん、と乗せた。
ぼくのてのひらに青とオレンジのふたつのビー玉。ふたつはゆっくりとらせんを描きながら浮き上がると、ぼくらの頭上でぱんっと粉々にはじけた。
光をまといながら降りそそぐ無数の青とオレンジ。そしてにじんで、夕陽に溶けていく。
「消えるんじゃないの。溶けて一部になるの。 私も、うぶすなさんに」
そう言うと、夕海は薄くなり、消えた。
胸の痛みは消えない。
でも。ぼくは君を探し続けるよ。
木に、花に、石に、空に、雲に、海に、美しいものすべての中に。
また逢える日まで、ほんのちょっとだけ、さようなら。
夕海。
(初出・エブリスタ)
──────
あとがき
まだ推敲しようかなと思いつつ早何年…。私のうぶすなさんは小さな神社。もう遠く離れているから遠くからお祈り。神社でよく遊んだ。墓地でも遊んだし「足の神さま」の石祠は友達とよくお掃除をした。今思うと、あれはアラハバキ神だったのかもしれない。石神?
そういえば石が好きだったなあ。雲母のかけらを集めたり、平たいすべすべした石は川で水切りに。石を裏返して蟻やミミズを見つけたり。紫水晶を拾ったし大岩に登ったし。石コ賢さん(宮沢賢治)も好きだし。アメニモマケズウイルスニモマケズ。