桑山千雪 ―好きを守り抜く少女と大人―
自分の「好き」を歪めてしまう経験は誰しもあるだろう。
メジャーなものは好きと言いやすい。特段好きでなくとも受け入れてもらえる。
逆にマイナーなものは好きと言いづらい。自分の情熱が理解されない恐怖。
大人になればなるほど、「好き」を好きでいるのは難しい。
桑山千雪は、自分の「好き」を両手で抱くようにいつくしむ。
こぼさないように、ぎゅっと。
まえがき
この記事は、
「我儘なままへ向けて ソロ曲note連作」という企画の一環で執筆しました。
この企画の詳細については、以下の記事をご覧ください。
本企画における私の執筆担当アイドルと記事の公開日程は以下の通りです。
園田智代子 公開済
桑山千雪 本稿
浅倉透 公開済
構成
人物評論→ソロ曲の歌詞考察。
人物像がわかれば、歌詞から自然と桑山千雪のイズムを感じられるだろう。
なお、各見出しの直後に引用しているアルストロメリア楽曲の歌詞は、千雪の歌唱パートからとっている。
both/どっちの道も
千雪は元雑貨屋店員だ。
当初はアイドルと兼任していたが、店を退職してアイドルに専念したエピソードがW.I.N.G.編で描かれている。
その裏には並々ならぬ葛藤があった。
千雪にとって雑貨はとても大切なものだ。
しかし雑貨屋店員とアイドルの二足の草鞋は、双方の仕事に支障をきたしつつあった。
アイドルへの思いが止められない今、雑貨を捨てるのが「大人」だろう。
それは千雪本人も分かっている。
しかし彼女はそう簡単に諦めるほど大人ではない。
欲張りな子供に見えても構わない。
「好き」を守り抜く道を選ぶ。
cherish/いつくしむ
千雪が自分の道を突き進む原動力、彼女の「好き」を深掘りしていこう。
再発見
千雪の真骨頂は細やかな眼差しだ。
繰り返してきた日常も、まるで初めて体験するかのように感じ直す。
どんな些細なものでも拾い上げて尊さを見出す。
千雪の眼差しが向けられるのは、手で触れられるものだけではない。
時間。
流れてゆく感情を細やかに見つめ直す。
現在性
絶えず移ろう時の流れに身を委ねて、千雪は「今」に浸る。
今この瞬間に感じる甘さも苦さも生の糧だ。
人生のすべてを受け入れ肯定する。
ここに彼女の多幸感の源がある。
少女は「今」の尊さを見落とすものだ。
青春は現在進行形では感じられない。
振り返ってはじめて青春になる。
千雪が「今」を感じられるのは、大人としての経験あってこそなのだろう。
possibility/可能性
大人は皆、未来を選び取ってきた。
千雪もまた、自らの手で運命を掴んだ。
だが、誰もが悩む。
同じところをぐるぐる回って、大胆なことを本気で望んで。
失敗した自分があまりにも惨めで、だけど気持ちだけが遠くを走って。
それでも、衝動は止まらない。
立ち止まる理由はいくらでもある。
むしろ、新しい世界に飛び込む理由などないのかもしれない。
それでも『その先』に行くと決めてしまった。
そうと決まれば思いきり飛ぶだけだ。
もう戻れないほど、高く。
自分を信じて飛び込んだのなら、間違いなんて何ひとつない。
あとは希望に手を伸ばすだけでいい。
飛び込んだ先で大変なこともあっただろう。
しかし千雪はとても充実している。
それはひとえに、彼女が自分を信じきったからだ。
一番「好き」な道を選んだ。
それだけが決意を肯定する。
「虹の行方 (アルストロメリアVer.)」において、
「Ah 違う旅を選んだ私も」の歌割りは千雪だった。
彼女は「違う旅を選んだ私」にどんな思いを重ねたのだろうか。
雑貨屋店員として生きる自分を振り返ってみたのかもしれない。
アイドルの道を選んだ日の高揚を感じたのかもしれない。
あるいは、彼女が胸に秘めたまだ見ぬ夢を想ったのか ―
myself/自分と向き合う
千雪の選択はいつも力強い。
しかし彼女は何を指針にして納得する道へと進むのだろうか。
未来への道筋を明確にする行動はただひとつ。
現在位置の把握だ。
2点が定まってはじめて直線を描ける。
自分を見つめ、湧き上がる感情を認める。
一見簡単でその実難しい行為に真正面から取り組む潔さ。
千雪の芯の強さはここにある。
千雪は自分の感情をありのままに感じ、声に出す。
二度と訪れることのない「今」を逃さない。
自分の幸せは自分しか分からない。
だからこそ、向き合い続ける。
これが千雪の幸福論だ。
「Darling you!」
以上の千雪の人物評をもとに、ソロ曲の解説をする。
Aメロ Bメロ
「Darling you!」のAメロ及びBメロの歌詞の構造を以下の資料に示す。
非常に千雪らしい、細やかな眼差しが見受けられる歌詞だ。
人物評で指摘した、時間、感情、具体物への注意が散りばめられている。
内容は、記念日のサプライズで「キミ」を目一杯もてなすというもの。
普通の恋愛ソングとは一味違い、かなりの能動性が感じられる。
ちなみに、Bメロ最後の「キミを」は注意して聴いてほしい。
最早「キミをっ!⤴︎⤴︎⤴︎」という表記でもいいくらいだ。
語尾に向かって上昇する発音が、気持ちの高ぶりを表している。
2番はさらに元気一杯。こんな歌い方は他に聴いたことがない。
サビ
1番の歌詞は千雪の入力、つまり感受性にフォーカスしている。
「好き」を集めていつくしむ彼女のスタイルは既に述べた通りだ。
2番は出力、つまり他者への働きかけについて。
心の中にしまってあった「好き」を解放し、他者に影響を与える。
人物評で取り上げたアウトプットは、自分の気持ちを確かめるために行うものだった。
一方この歌詞におけるアウトプットは、個人的な内省ではなく他者ありきのものだ。
千雪は、自分が他者に与える影響についてどのように感じているのだろう。
これを紐解くことで、2番のサビの解釈に一定の回答を得ることにする。
参考にするのはLanding Point編。
彼女が楽曲のプレイリストを作成し、曲目をシャニPに見せるシーンから始まる。
まるで部屋の本棚を見せるような気恥ずかしさを千雪は自覚する。
一方、仕事相手からこのような依頼が舞い込んでくる。
「アルストロメリアの曲目リストを作ってほしい」
千雪は明らかに気が進まない様子だった。
自分の世界を大切にするからこそ、他人の世界を尊重する。
ひとりひとりの心に広がる風景は、決して手を加えることのできない聖域なのだ。
しかし、その後の体験が千雪を変えてゆく。
大好きな曲のイメージをシャニPと共有できたこと。
新人アイドルが持つ千雪のイメージを崩さずにいられたこと。
自分の感性を共有する喜びに気づいた。
これこそがLanding Point編での達成だった。
ところで、G.R.A.D編で千雪はアイドルの自分とそうじゃない自分を受け入れた。
素晴らしい成長ではあったが、ある意味では自己完結の幸福論だったともいえる。
自分の感性を「1円」と判断された挫折を、真の意味で乗り越えたのがLanding Point編だったのではないだろうか。
2番のサビの歌詞に話を戻す。
本曲の主人公は1番で、箱に大好きを詰めてリボンをかけた。
それを解き放ち、相手の感性と共鳴する。
他人の世界に触れる恐怖も、自分の世界を見せる恐怖も理解している。
しかし、2番の歌詞からは、ためらいが微塵も感じられない。
自分の「好き」が他人のそれと響き合う喜びは何にも代えがたい。
喜ばせたい「キミ」を想うと、恐怖も何もかもを振り切って幸せになれる。
そういう歌だ。
「Darling you!」は一見、「少女」の歌のように見える。
だがその裏には、「大人」としての葛藤があるのだ。
おわりに
千雪にとって、ソロパフォーマンスほど特別なことはないだろう。
澄んだ感性で拾い集めた日常、時間、可能性。
これらが爆発するように飛び出す。
「大人」のためらいなど「少女」には無用。
ただ純粋な喜びの光へ手を伸ばして、高く高く飛んでゆく。
「私、遠慮しないので……!」
舞台袖から、そんな声が聞こえてくるかのようだ。