感想 猫を抱いて象と泳ぐ 小川洋子 チェスの話しだが、幻想的でエレファントマンという映画を思い出した。
久しぶりの小川さんの小説。
この作品はとてもいい雰囲気だ。
物語の核はチェスなのだが、それは、ありがちなサクセスストーリーではなく
何かよくわからない不思議な感じの幻想小説なんです。
デパートの屋上にいた象の話しにはじまり
想像上の少女ミイラの出現
主人公の少年が小人のように小さいこと
唇が奇形でいじめにあっていたこと
死体を発見したこと
その死体の人の職場を訪ねていき、バスで住むマスターと出会い
チェスを仕込まれます。
前に、何かの本で読んだのですが、リングの上で俺は対戦相手と会話をしてるんだと言ってた選手がいました。
チェスもそうなのかもしれません。
この少年の世界は閉鎖的です。
それは容姿がそうさせるのかもしれない。
チェスだけが対話のツールのような気がしました。
師匠であるマスターの口癖は、慌てるな、坊やでした。
この言葉は、彼にとって後に大切な金言になっていきます。
チェスを本文中に、こう表現している。
この小説は、この言葉通りなのかもしれない。
僕は読んでいる間に、この閉鎖的な少年が映画のエレファントマンに思えてきた。
サーカスか何かの見世物みたいにも思えてきた。
さて、話しをチェスに戻します。
マスターは少年にチェスの話しをします。
時間を気にして気が散った彼にこうもアドバイスをする。
その人の思考方法や癖がすべて凝縮されているのです。
それは、その人そのものとも言えます。
その師匠が死ぬ。
彼は、人形の中の人になりチェスを打つという仕事につく
彼は、リトルアリョーヒンと呼ばれるようになる。
アリョーヒンは、有名なチェスチャンピオンだ。
老いた令嬢というライバルが現れる。
その人がリトルアリョーヒンに語り掛ける。
駒の並べ方、動かし方を教えてくれた人の存在。
それはチェスの指紋のように残っているのだという。
つまり、彼の中にマスターがいるということだ。
そのマスターに子供の時、説教されたことがある。
たまたま賭けチェスをやっている人を見かけて、参加し勝ったことだ。
そういうのは違うと師匠は言った。美しくないと言った。
彼の勤め先でトラブルがあった。
ミイラというあだ名の彼の初恋の相手が酷い目にあった。
そこは純粋にチェスをする場所ではなかったのだ。
そこは賭けチェスと同じだった。
だから彼は辞めた。
彼はその後、年寄りの施設でチェスを打つ仕事につく
プロの棋士との試合でも互角に戦えた。
なのに、彼はそこに留まり続けたいと思った。
もっと強い相手とやりたくないの?
と問われても首を横に振る。
彼は結局、最後までそのままで人生を終える。
最後は、火事で死ぬ。
人形の中に死体はあった。
この閉鎖性は何なのだろう。
どうして、彼は人形の中でしか戦えないのだろう。
顔を出してプロとしてやっていかなかったのか。
たぶん、それはチェスを教えてくれたマスターとの修業時代の楽しいあの日々の中に自分をずっと閉じ込めていたい。そこから出たくないという願望がそうさせているのだと思う。
あの思い出とチェスさえあれば幸せに生きていける。
もしかすると、彼はそう思っていたのかもしれない。
2022 12 11