スプリットスクリーン(分割画面)の暴力性/「うちで踊ろう」と「Zoom爆弾」
安倍晋三首相が4月12日に投稿した動画を見た。
4月3日にミュージシャンの星野源さんがInstagramに投稿した”うちで踊ろう”という曲の弾き語り動画に、 首相が自宅で過ごす姿を並べたものだ。
このような画面を分割した映像の表現方法を映画用語でスプリットスクリーンと呼ぶ。
映画におけるスプリットスクリーン
映画では、時間は一致しているが空間が離れたものを、ひとつの画面に表示する場合が多い。
例えば、逃走する犯人と追跡する刑事を同じ画面に表示して、2人の行動を対比したり、アクション(発砲)に対するリアクション(被弾)を同時に見せたりする。演出の意図はわかりやすいが、自然な画面ではないのであまり多くは使われない。
テレビにおけるスプリットスクリーン
テレビではもっと一般的に使われる。VTRを見る出演者の顔をワイプで表示するというのも一種のスプリットスクリーンだ。
一時期の「アメトーーク」では謹慎処分になった司会の宮迫博之さんの姿を収録済みの映像から消すため、苦肉の策としてスプリットスクリーンが使われた。
宮迫さんが映る全体の映像は使わず、宮迫さんの相方でもう一人の司会である蛍原徹さんとゲスト出演者の映像のみで進行する。宮迫さんと蛍原さんのツーショットについては、画面半分に映った蛍原さんとゲストの映像をスプリットスクリーンの形で表示することで、宮迫さんの姿を消した。
「アメトーーク」の場合は、もともと時間も空間も共有している映像からその場にいた人物の姿を強引に消したため、事情を知らない視聴者にとって違和感のある映像になった。
逆に事情を知っている視聴者にとっては、宮迫さんの不在が強調された。
テレビ会議におけるスプリットスクリーン
新型コロナウイルスの影響で利用が拡大している、Zoomのようなテレビ会議の画面もスプリットスクリーンと言える。
テレビ会議では、異なる空間にいる参加者が一つの画面に並ぶ。テレワークに役立つが、常に自分の顔や生活空間が全員のモニターに共有されている状態に抵抗を覚える人も多い。
Zoomでは意図しない第三者が、テレビ会議に乱入するという問題も起こっている。
Zoomは会議ごとに9桁または10桁の数字で構成されるIDを含むURLが設定される。このURLが流出したり、ランダムな数字を打ち込むことによって、パスワードを設定していなかった会議に第三者の侵入を許してしまったのだ。
「うちで踊ろう」への侵入
星野さんが投稿した「うちで踊ろう」動画にはこのようなコメントが添えられている。
誰か、この動画に楽器の伴奏やコーラスやダンスを重ねてくれないかな?
多くの人は、この呼びかけに応じて、一緒に歌ったり、踊ったりするなど何らかのリアクションがなされている。岡崎体育さんのように、あえて演奏しないというものもリアクションの一つだ。
星野さんは安倍首相の動画が投稿される前の4月9日に行われたインタビュー(4月16日公開)でこのように語っている。
僕は、昔から「みんなでひとつになろう」的な言い方が好きじゃないんです。人と人はひとつにはなれない。死ぬまで1人だと思う。でも、手を取り合ったり、想いを重ね合うことはできる。
だから今回、重ね合うことでみんなと繋がってる感覚になりつつ楽しめるもの、多様なアプローチができるもの。そういうことをこの一曲でやろうと思ったんです。
星野さんのコラボレーション企画では、星野さんと参加者は時間も空間も共有していない。しかし、参加する人たちのリアクションによって「繋がってる感覚」が共有されている。
一方、安倍首相の場合は、首相自身が家でくつろぐ4つのカット(犬を抱く/お茶を飲む/本を読む/テレビを見る)が編集されて、星野さんの動画の横に並べられている。
安倍首相は、星野さんの演奏にリアクションしていないのだ。だから僕はこの動画を初めて見た時、第三者が作ったコラージュのように感じてしまった。
この件について、星野さんは4月13日に投稿したInstagramのストーリーで次のようにコメントした。
ひとつだけ。安倍晋三さんが上げられた“うちで踊ろう”の動画ですが、これまで様々な動画をアップして下さっている沢山の皆さんと同じ様に、僕自身にも所属事務所にも事前連絡や確認は、事後も含めて一切ありません
星野さんにとって、安倍首相の動画は意図しない第三者の侵入だったのだろう。
分断のスプリットスクリーン
もしも安倍首相が星野さんと同じ空間にいたとしたら、一緒に歌うまではせずとも、拍手くらいはしたかもしれない。
あるいはスプリットスクリーンでなく、カット編集だったらこうはならなかったのではないか。動画を編集する際に、星野さんの弾き語る姿にどのタイミングでどのような安倍首相のカットを入れるかをもっと真剣に考えるはずだ。
ちなみに、安倍首相のInstagram投稿に添えられたコメントにも「つながり」という言葉が使われている。
友達と会えない。飲み会もできない。
ただ、皆さんのこうした行動によって、多くの命が確実に救われています。そして、今この瞬間も、過酷を極める現場で奮闘して下さっている、医療従事者の皆さんの負担の軽減につながります。お一人お一人のご協力に、心より感謝申し上げます。
かつての日常が失われた中でも、私たちは、SNSや電話を通じて、人と人とのつながりを感じることができます。
いつかまた、きっと、みんなが集まって笑顔で語り合える時がやってくる。その明日を生み出すために、今日はうちで・・・。どうか皆様のご協力をお願いします。
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しかし安倍首相のスプリットスクリーンには、「つながり」ではなく「分断」があらわれていたように思う。
それは、ライブハウスなどに十分な補償なしの自粛を求めてきた安倍政権の姿勢とも無縁ではない。
スプリットスクリーンの氾濫
新型コロナウイルスによって、人々は距離をとって過ごさなければならなくなった。そうした遠く離れた人々を統合するために、スプリットスクリーンは使われる。
感染拡大が続く限り、会議はオンラインで行われ、スプリットスクリーンを用いたテレビ番組が作られるだろう。
スプリットスクリーンは時間や空間、文脈が異なるものを一つの画面に収めてしまう。その暴力性に自覚的でありたい。