《 美しいって、なんでしょうね。 》 三話目
うつくしいものを
美しいと思える
あなたの
こころが
うつくしい みつを
かの有名な、相田みつを氏の書が思い浮かんできます。
みつを氏は、「うつくしい」と「美しい」を使い分けていますね。
ここにどんな意味があるのでしょうか。
いくら探しても答えが出ない(ご本人しか知らない、もしくはご本人さえ知らない)からと言って初めから探すことをやめてしまったら、そこでお終いです。
さて、ここで例え話をしましょう。
ここに一つのコップがあります。
それを複数の人が見ているとしましょう・・・
ひとりは「お酒が入っているね」と言い、
ひとりは「ガラスで出来てるね」と言い、
ひとりは「なんだか喉が渇いたな」と言い、
ひとりは「どんな味がするんだろう」と言い、
ひとりは「これは誰のコップなんだろうね」と言い、
ひとりは「もっとたくさん中身を入れて欲しいなぁ」と言う。
全員同じコップを見ていることは間違いありません。
誰も間違ったことを言っているわけではないけれど、言っていることはバラバラです。当然そこに、善悪もありません。
その視点を決めているのは、
その想いを抱いているのは、
他でもないあなた自身です。
さて。それでは、話を戻します。
この “美しさ” って、誰が決めているのでしょうか。
どこかにお手本があって、それ以下は汚い、それ以上は綺麗、などの基準があるのでしょうか?
有名なあの人が美しいって言っていたから、
TVで綺麗だって言っていたから
読んだ本にこれが美しくて素晴らしいものだと書かれていたから
全くもってそんなこと、関係ありませんね。
“美しさ” を決めているのは・・・
他でもない、あなた自身です。
共感する人が多ければ多いほど普遍的な美しさとして取り扱われるのかもしれませんが、少数派のものだって見る人が見れば美しいものだってあるはずです。
きっと「心」や「魂」といった、目には見えないけれどたしかに在るものが、響いたり、感じたり、動いたり、することが美しさの根源なのかもしれません。
それならば、自分の中の “美しさ” を探しましょう。
自分の中に在る美しさに氣がつくことで、
それがその人の魅力であり、強みであり、仕事になり得るでしょう。
わたしは、その “自分の中に在る美しさ” を書道で表現し、仕事にしている者です。
常に追求し、探し続けています。
自分なりの美しさを。
それは、それは決してひとつだけ、
とは限らないのです。
つづく。
書を筆で書き表すこと。文章を指で打つこと。違いはあれど、同じく“書く”こと。書くことを、生業にしております。応援いただけたら有り難い限りです。