私が守らなければいけないと感じていることを。
自分の感性を大切にする、そんなことを今まで以上に自分のテーマになってきていると感じる最近。
もちろん、今までも大切にしていたつもりではあるものの。
惹かれるものと、惹かれるように思わされることは全くの別物だし。
心が動くものと、心が動くように誘導されることは全く別物。
やりたいことと、やりたいと思わされることも全く別物。
この『別物』はクオリティが高すぎるレプリカのような、一見、本物と区別がつかなくなることがある。
本当にやりたいことをやっているのなら、夢中になれるもの。
そんなことを耳にタコができるまで言われてきたけど、レプリカを追い求めているときも、夢中になれることを知っている。
だから、その言葉は本当のときもあれば、嘘のときもある。
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来年からは、色々と大きく変わっていく。
ずっと裏で仕込んできたことに振り切って、進んでいく。
おそらく、刺激や充実を感じることもあるだろう。
いろんな反応を受け取った上で、感情を揺さぶられることもあるだろう。
それでも。
いつでも、自分の感覚を見つめることは怠ってはいけないと思っている。
やりたいことをやっている自分の中に、じわじわとそうではない違うものが混ざって来ても、やりたいと思っている満足感で本音をかき消してはいけない。
自分の感覚もおそらく変わるだろうけど。
たとえポジティブでも感覚を浴びすぎて流されるときが、自分を見失うタイミングだということを肝に銘じておきたい。
私の感受性くらいという詩がある。
おそらく、私の感じるニュアンスはこの中の一部分なのかもしれないけど。
なんだか、この詩の奥深さがじんわりくる最近です。
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9月に年を重ねたタイミングで。
自分の感性に振り切った撮影をしていただいた。
なんか理由もなく、いや、表現をせねば!何かを残しておかなければ!という直感のようなものに惹かれて。
あのときの、感覚を閉じ込めておきたくて、今見るとあのときから変わっていることも多いけど。
それでも、残しておこうと。
このnoteは何かのタイミングで、何度も読むことになりそうです。
“
いつでも、思い切って表現したいものです。
撮影:遠藤アスミ