死ぬまで生活はつづくから。
最近、更新が楽しみなブログがあります。
フリーランス秘書の高西愛美さんのブログで、タスク管理に関しての投稿が勉強になりすぎるので膨大な仕事を終わらせる秘訣など知りたい方は是非とも見て欲しいのです。という、初っ端からおすすめ。
そして、まなさんのこちらの記事(最近のブームはあらゆるものの数値記録。)でご紹介されているアプリで体重、寝ている時間などの記録を始めました。
今まで自分が如何に無自覚で生きてきたのかが絶賛明確になってきております。
ちなみに、最近毎日記録をとりはじめたのは、
・睡眠時間
・昼寝時間
・体重
・食べた物
・トレーニング時間
などなどという最低限の生活メモ。
まだたった5つなのですが、如何に毎日送っている自分の日常というものに関して自分が知らないのか…というのに大きく驚いております。
理由は明白で、私は自分の日常における選択がびっくりするほど甘い。
お腹いっぱいでも目の前に美味しいものが出されたら食べるし、仕事が終わらなかったらそのまま深夜まで突入するし、体重計に至っては持ってすらないので自分の体重は知らない。
「自分は好きなものを食べてもいいし、人生体重じゃない。」なんてことを思いたかったんだろうな・・・・。と客観ながら思う。昨日、数ヶ月ぶりに体重計に乗ったら、人生で一番肥えている自分であった事実を知りました。
まじかよ…毎日筋トレしてるじゃない…なんて思っていたものの、それを圧倒的に上回る量を食べている自分の事実を知り、ぐうの音も出なかったという。
(結構衝撃だったので、Amazonで体年齢やらも測れる体重計を即効でポチったのです。)
たまたま手に取った、星野源の「そして生活はつづく」の一節でこんな言葉が紡がれていました。
全ての人に平等に課せられているものは、いずれ訪れる「死」と、それまで延々とつづく「生活」だけなのである。
ちなみに、この後に「でも私は、生活というものがすごく苦手だ。」と続くのですが…共感しかない。
ただ、一生続くものに関して、私たちは嫌でも向き合っていかなければいけないということを改めて考えさせられたのです。
生活、とは、すべての土台。
植物でいうと食事は水とか、養分にあたる部分、睡眠は日光のあたる感じに該当するんでしょうか。どんなにいい肥料を使ったって、そもそもの土台がしっかりとしていなかったら元も子もないですよね。
自分というアイデンティティを作り出すに関して、この生活をする自分というのは冷静に考えると無視できない自分だと思っております。
その土台がグラグラだったことに全く気づけず、そもそも自分を疑うという概念すら生まれていなかったのです。
確かに、私がぶくぶく太ろうが、たくさん食べようが、たくさん寝ようが、筋トレしようが、誰かに迷惑を直接かけるわけじゃない。
自分が今日1日たべたものを書き出しただけで、絶対これいらんやったやろう…!というものが認識されたのを実感し、早速生活習慣を改める自分にびっくりしました。レコーディングダイエットって凄いな・・・って10年以上前のブームのすごさを思い知ったのは思ったのはここだけの話。
一方、生活にまで気を使うなんて理想論だなんてことも思ったりもしますが、でも理想を言うなら蓄積された惰性で起こりうる身体のダレで悩むよりも、想像の範疇を超えるアクシデントで悩む自分でありたい。
ビジネスにおいてもまずは正しい現状把握が大事だと散々聞いてきました。
スタート地の認識が間違っていたら元も子もない。
自分がビルの1階にいるのか、自分がビルの10階にいるのかによって、地上に降りるためにとるべき手段は大きく変わってくる。
そんなことで、自分という土壌を整える月間を始めます。
自分を振り返ると、私は数ヶ月単位で、激動期とゆるり期が訪れるのですが、今は確実に「ゆるり期」。
調整するなら今のうちだと思って、私はレベルゼロのメモをするところから始めようと思います。
またご報告します。ぬーん。