京都に引っ越してきて、はや1ヶ月が経ちました。
『京都、どう??』ということを、毎回ご挨拶のように聞いていただけるので、noteでも書いておきますね。
改めて、このタイミングで京都に引っ越して来れて、めちゃくちゃ良かった…!!!
というのも、日々自分の中にある考えがペリペリと皮がめくれていくような、そして、日々その中の本当に大事な部分に光が当たるようになって気がする。
そもそもの話ですが、土地が与える感覚というのが、なんとなくあると感じていてます。
1年半前に足を運んだニューヨークでは、街にいるだけで上昇していこうとするエネルギーに溢れていた。
地元に帰ると、懐かしい香りと、そして、そこはかとない安心感が溢れていた。
そして、今まで住んでいたところは、たくさんのものが交錯するような感覚で溢れていた。
好きなことを仕事にしているはずなのに、いつもファイティングポーズをとっているような、よくわからない感じで生きていたなぁ…と思うのです。(伝わる?)
高校生の頃から住み始めた横浜は今も大好きで、新しい建物や商業施設を建設していたり、これからどうなる…!?と楽しみにしているところでもあります。
ただ、今の自分にとっては、自分の中には、すぐに手に入れたいもの手に入れられる環境だったり、会いたい人にはすぐに会えてしまう状態に知らず知らずのうちに影響を受けてきた面も大きかった気がする。
影響を受けることはいいこと。
ただ、今はもっと自分の中にある何かを今まで以上に大切にしたかったのかもしれない、と、京都にきて気づきました。
京都にきて、世間の流れも相まって、今までやろうとは思っていた(けどやれていなかった)、土台の底上げということを意識するようになりました。
土台を意識したいというのは、自分のやりたいことでもあり、何度もnoteを書いていたんですよ、実は。
私がどれくらい、自分の土台というものに無頓着かというと、フリーになって今年で4年目ですが、ほぼ外食だったり、去年までパーソナルに通っていたものの、終わった瞬間運動を全くしなくなり、おそらく身体の質が悪化したやろうな…!笑 と思う。
あーだこーだ解決策を見つけては、挫折し、見つけては、途中でやめ…となってきたのですが、京都にいると、仕事だけやってちゃダメ感をひしひしと受け取るんです。
別に誰に言われたわけでもなく、自然とそっちのベクトルに設定されるような感覚で。
元々住んでいたところよりも部屋数が増えたので、仕事道具を一切持ち込まない場所をしっかりと決め、仕事用の部屋は仕事用と、自分のマインド面がしっかりと分けられるようになったり。
キッチンが広くなったので、料理をやってみたいと生まれて初めて思う気持ちが沸き、家事を頑張っている友人に作った料理を送って(送りつけて)日々成長を実感することも。
(そもそも、今まで買い置きをする概念がなかったので、料理の食材を買うって、収納スペースが必要になるだっていう低レベルな気づきを得ました。はい。)
本来なら引越し作業が落ち着いたら身体動かす系の何かに通おう!と意気込んでいたのですが、外出を自粛の流れなので、ワークアウトの時間を作ったり。
何が私をそうさせるのかわかりませんが、人生を変えたかったら住む場所を変えましょうという、定形文の威力を実感する日々です。
不便だと感じるのは…あくまでも私が感じる不便ですが…スーパーが遠いことでしょうか…。
横浜の家は徒歩1分に最高スーパーがあったのですが(料理に興味を持つ以前なので、そもそも活用できてないんだが。)、今も家からは15分かかる…。(と、これいったら友人に、うちは車で40分と言われたのだけども。)
とはいえ、今は新鮮な想いのこもったお野菜がネットでポチッとできる時代なので、その辺りを駆使しながら生存していこうと思っています。
何が良い、何が良くないという世界ではなく、自分にとって必要な場所に導かれてきた感覚です。
お仕事についても、自分の中が洗礼されてきたからか?新しいご縁をいただいたり、また、自分の中でも更にやりたいことがフツフツと。
その辺りは、また別の機会にでもまとめようかとも思います。
まだ全然京都を開拓できていないので、落ち着いたらいろいろ足を運びたいものです。
そして、お友達を招いて、京都プレゼン出来る日を今から楽しみにしております。
という、もはや、完全なる日記でした🙋♀️
P.S.
書きたいことはあるものの、このご時世なのでその辺りは、裏マガジンにて書いております。