世間知らずの大学生が思う政治の難しいところ
こんばんは。
今日も今日とて、今までのnoteと似た内容になるかもしれないが許してくれ。
また、便宜上、お年を召された方のことを【老人】と表記している。失礼許してくださいな。
人間たるもの、自由に何不自由なく生活できる環境を望むことは当然だ。
楽な道と、辛い道があれば本能的に楽な道を選んでしまう。
とある市長選挙の結果を受けた住民への取材を目にする機会があった。
70代後半のように見えるお婆さんが新市長に求めることとしてこう言っていた。
「若者が少ないから住み良い街にしてほしい」
私は少なからずこのコメントをみて衝撃を受けた。
そして、その衝撃を忘れる前に書き記そうと思いこの記事を書いている。突発的なものだ笑
このフレーズは
『若者が少ないから老人に住みやすい街にしてくれ』
と理解することはできないだろうか?
仮にとある市の人口の6割が若者であった場合、その市は教育など若者への投資をメインとした政治を行っていくのが定石だろう。
逆に、若者が2割しかいない場合はどうすればいいだろうか?
残りの8割の老人のために政治を行うのか?
もしそうしたら、その市は、数十年後には若者がいなくなり、最悪の場合、市という物が無くなっているかもしれない。
老人は若者よりも死ぬのは早い。
そんな人たちに市はどれくらいお金をかけられるのか。
もし、老人に住みやすい街を作ろうとした場合、その街が完成する前に老人たちは死ぬかもしれない。
どんなに若者が少ないからと言って現状しか見ず、老人ファーストを求めることは違うのではないか。
ここで私が思ったのは,トロッコ問題とよく似ているな、と。
【2割の若者・8割の老人】
さぁどちらを選ぶだろうか。
もちろん正解はない。
まだ政治家でない私からしたら即答物だ。
2割の若者を選ぶだろう。
ほとんどの人がそうなのではないか?
この少子高齢化が日本中で危惧されている状況で、言い方悪いがいつまで老人ファーストな政治を行うのか。
老人の方にばかり投資しても形に残るのは立った数年。
若者に投資した方がはるかに経済的価値を生むし、数十年形として残り、日本を支える基盤の種まきになるだろう。
身近な問題で言えばキャッシュレス問題もある。
若者はスマホ決済などを利用している人が大半を占めているが、老人がついて来れてない。
その老人を救済するためにいつまで経っても完全キャッシュレス化が進まない。
最近では地元の鉄道が、自分で電車のドアを開閉するボタン付きの車両を運行し始めた。
これもボタンの横に説明が書いてあるので、理解できた学生たちは何も苦戦することなく、利用できていたが、やはり老人が苦戦していた。
しかしその時、学生が利用方法を教えていた。
これこそが本来あるべき姿なのだと思った。
何か昔のものから変更すると、必ずシステムは変わる。すると、老人がどうしても置いてけぼりになってしまう。
これを危惧する政府や、老人本人が変化を嫌い、従来通りのあり方に落ち着いてしまう。
トロッコ問題のようにやはりどちらか切り捨てなければならない。
この場合、従来通りであれば誰も困ることはないが、そのようになった場合、日本はこれから先絶対変化など起きない。
なぜならどの時代も老人はいるから。
しかし、何か思い切って変化を加えることで日本はまた進みだすと感じる。
もし老人がついて来れてないなら、若者が教えてあげる。
それで社会は回らないのだろうか。
そうするだけで日本はより進歩すると思う。
私は日本はいい意味で老人に甘すぎる。
もちろん敬意は払わなければならない。
だからと言って何もかも老人ファーストであってはいけない。
少子高齢化を叫ぶくらいならまずは若者世代、若者ファーストにしなければならないだろう。
これからの未来を作るのは私たち若者なのだから。
ただ、現日本において老人の意見が強いのは間違いない。
だって老人の方が割合多いのだから。
少子高齢化が進んでいる以上、若者の数が老人の数を上回ることは決してない。
少子高齢化対策を早く打ち出さなければ、何十年先まで日本は老人の意見が強い国になってしまう。
民主主義国家である以上、多数派の老人意見が採択されることは必然だ。
政治家も現実をわかっているのかもしれない。
だけど民主主義が故に…な部分はあるのかもしれない。
というか、そうであってほしい。
だからこそ政治家は難しいなと思う。
政治は難しいなと思う。