世間知らずの大学生がネパールで約1ヶ月過ごした結果part.1
私は、今月頭から約3週間、ネパールのビラートナガルという場所でホームステイした。
その間に起こった出来事、思ったこと、考えたことを適当に叙述していく。
1.ネパール人の平均月収の実態
私はネパールの友人からネパール人の平均月収は日本円で2万円ほどだと聞いていた。
それ故に、現在多くのネパール人が日本の出稼ぎに来ているのだろう。これに関しては日本の人材不足と、ネパール人の仕事に対するモチベーションがうまく噛み合った結果である。
何よりネパール人と一緒に仕事して分かったことは彼らはとても仕事熱心であり、責任感があるということ。
僕はこれにとても驚いた。
ネパール現地では、あらゆるお店に店員はいるものの、接客時以外はSNSを閲覧していたり、友人と談話したり…とにかく最低限の接客をしているような印象だった。これはネパールに限らず他国でもよく見る光景であろう。
(ちなみに私はこの働き方へは、肯定派だ😅)
この印象が先走っていたため、一緒に働いてるネパール人も、接客以外の時間は談話したり業務以外のことやったりするのだろう…と思っていた。
ところが!
彼らは日本人である私たちがほとんどやりたがらないような仕事を率先してやってくれたり、接客の練習をしていたりするのだ。
何が言いたいかというと…彼らは日本での働き方に順応しようと努力しているということである。
ネパールでは前述したように接客以外の時間は、自分の時間である。私が滞在した田舎町だけでなく、首都でも同じ光景が広がっていた。だから、この働き方に関してはネパール現地の在り方なのだろう。
これに比べると日本の働き方は大きく異なるし、ハードである。しかし彼らは日本の働き方に基づいて働いている。
今、ネパール人を例に出しているが他の国の人も同じ状況なのでは無いだろうか。
現地に実際に行って生活してみて分かったことは、ネパールにはレストランのようなものは存在しない。もちろんコンビニエンスストアのようなものもない。
ネパールの路上はいつも屋台が並んでいる。屋台の前にはテーブルと机が数個置いてある。
もちろん、その屋台は夜になるとどこかへ消え去っている。
イメージとしてわかりやすいのは日本の祭りの時に出てくる屋台だろうか…
ネパール人の仕事は大きく分けて、農家・建築業者が多い。農家が収穫した野菜を路上で売る傍ら、その野菜を使用した料理を屋台で作る。
実際、その屋台でお腹いっぱいになるまで料理を食べても日本円で約25円ほどであった。
ネパールにはこのような屋台が人の数だけあると考えてもいいだろう。
屋台を営んでいる人は、他に仕事がないことが多いそうだ。お客さんが屋台に来て何が料理を食べることで始めて収入となる。つまり、収入は安定しないし1人あたり25円ほどなので平均月収である2万円に到達するのはかなり非現実的な部分がある。
2.ネパール国内の実情
ネパールは、ヒマラヤ山脈・中国・インドに囲まれた国であり、製造業が全くと言っていいほどできない。中国やインドには産業面では到底敵わないのである。そこで活路を見出しつつあるのがIT産業である。ネパールにはアメリカ資本のIT業者などが多数あり、言うまでもないかもしれないが、この仕事についている人の収入は比較的良いとされるであろう。それなのに平均月収が2万円に収束するのはなぜだろうか…?
これは、前述した農家の人たちの収入が数字以上に少ないことを示しているのではないか??
このことに関する事実はわからないが、実態に現実を目の当たりにして感じたことである。
3.ネパールでの生活
ネパールは年中30℃を超える猛暑日が続く地である。扇風機も全ての家庭にあるわけではない。扇風機も高価なものであるからだ。ましてや、日本のようにエアコンなどあるほうが珍しい。
不思議と毎日このような暑さの中で生活していると自然と身体が慣れてくるものである。日本に最近帰国してきたが、友人が暑い暑いと言っていたにも関わらず、私はとても涼しく感じるほど、おかしくなっているのである。さて、こんな暑さの中ネパールの人たちはどのように暑さを凌いでいるのか。もちろん扇風機が使える場合は使ってますよ。だけど…24時間毎日安定して電力供給されるわけではないのだ。特にこの時期は雨季に入り、夜から朝方にかけて激しい雷雨が伴う。雷雨によって電力供給が遮断され、水道も遮断され…
これが普通だった。暑すぎて夜中に目を覚ますことも何度もあった。ベットに横になっているだけなのに、全身汗びっしょり。まるでスチームサウナにいるような感覚を覚えるほどだ。もちろんこんな中寝れるはずもなく、寝不足の日々が続く。日中は暑さに体力を奪われ…
ただ、こんなにネガティブなことばかりではない。
ネパールで食べたマンゴーが今まで食べたマンゴーの中で1番甘くて1番美味しかったのである。
ネパールにはリキシャという、トゥクトゥクのような乗り物があるのだが、風に揺られながら路上で買ったマンゴーの皮を剥き、かぶりつく。皮や種は車から外に投げ捨てる。それ以外のゴミももちろん当然のように外に投げ捨てる。
これが仕事終わりのルーティンであった。
リキシャに同乗する仕事仲間が毎日何らかのおやつをくれた。ライチやマンゴー、さらにはドーナツのようなものをくれる事もあった。もちろんゴミが出た場合は外に投げ捨てる。
ご飯に関してもとても美味しかった。しかも、日本円で50円以内でお腹いっぱいに食べることができた。なんというお得感。ただ、面白いことに皿は教科書の紙や、ノートの紙、スプーンは段ボール。調理は素手。ボウルなどあるわけなく、バケツ。不安になる程濁った水。ありえないほどの唐辛子。
全てが私にとって楽しみであり、初体験だった。
毎日腹痛が起きるリスクと隣り合わせ。
シャワーはもちろん温水など出るわけなく、毎日冷水。気温が暑いので、とても気持ちよくシャワーを浴びていた。ただ、シャワーを浴びた後でも、気温は暑いので汗をかく。本当にこれだけは気持ち悪かった。
しかし、これらのこと全て、今となっては素晴らしい思い出である。
日本とかけ離れた生活を送ることで人として成長できたように感じる。
4.これから
私は今回緊急帰国という形をとって日本に帰国している。
もちろんまたネパールに行きます。
ネパールの学校に行った際、生徒みんながとてもパワフルで元気があった。
私は日本から余分に資金を持って行っていたから、ネパールでは不自由なく生活できた。
しかし彼らは、少なくとも私より不自由な生活を送っているにも関わらず、毎日毎日楽しそうに過ごしていた。
綺麗事は嫌いだし、言うつもりもないが、その光景に心打たれるものがあった。
自分は日本で便利なものに頼りすぎて少し不自由な環境になっただけでストレスを感じていた。
便利なものに頼りたがっていた自分が憎い。
ただそれだけだ。
必ずもう一度あの地を訪れる。