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左半身が動かない!#3
2020年11月19日の深夜、体に異変が起こり、夜中にトイレに行くため目が覚めましたが、体の左半身が動かなくなっていました。
まるで映画『リング』に登場する貞子のように、床を這って何とかトイレにたどり着き用を足し、そのまま眠りにつきました。
朝目が覚め、悪い夢だったと思いたかったのですが、起床してみると、完全麻痺だった状態が少し良くなっており、よろよろと歩けるものの、呂律が回らず左手の指も動かない。「あれは正夢だったのだ」と感じ、仕事をキャンセルして病院に行くことにしました。
あの時を思い出すと、長袖のシャツを着るのにも大変苦労したことが印象に残っています。右手の袖のボタンを留めようとしたものの、左手が動かないためうまく留められず、右手の袖ボタンは開いたまま。なんとか自力で、ひらかわ脳神経クリニックまで約1キロを歩きました。ふらふらと、まるで酔っ払いのような足取りでしたが、頭はしっかりしていました。
「もしかして、これは筋萎縮性側索硬化症(ALS)ではないか?」と思ったことを覚えています。
その日にクリニックで診察を受けた結果、紹介状を書いてもらい、大きな病院に緊急入院することになりました。今思うと、このクリニックの先生は脳梗塞と診断しながらも救急車は呼ばず、代わりにタクシーでその病院まで向かうように手配してくれたのです。
先生は近くの大きな病院を2つ勧めてくれましたが、そのうち1つは評判があまり良くなく、後にコロナクラスターも発生した病院でした。以前にその病院で診察を受けたことがありましたが、スタッフや医師の対応から感じる雰囲気も悪く、私の選択肢にはありませんでした。
当時はコロナが流行し始めた時期だったこともあり、麻痺が進行する体を引きずるようにしてタクシーに乗り込み、病院まで移動しました。今思えば、それも奇跡的なことでした。そして、このタクシー移動が、後に私の回復につながるとは思いもしませんでした。もし救急車で搬送されていたら、評判が良くないため病床に空きのあるその病院に入院していた可能性が高かったからです。
運良く、もう一方の病院に入院できたことが救いでした。特に、看護師さんの一言が生きる希望となり、ここまで回復するきっかけになりました。
搬送先の病院で再び左側が麻痺し始め、救急患者用の処置室に運ばれました。若い医師が人差し指を立てて、 「この指を左手で触ってみてください」 と指示しましたが、触ることができませんでした。 「左手を肩の位置まで上げてみてください」 これもできません。
いろいろな質問を受けましたが、明らかに状態はおかしいと感じました。医師から、 「脳の中を調べます。CT検査をしますね」 と言われ、検査室に移動して脳を調べたところ、右の脳底動脈に大きな梗塞が見つかり、アテローム性脳梗塞と診断され、そのまま入院することになりました。
時間の経過とともに病状は悪化し、夕方には左半身が完全に麻痺。話すことも困難で、移動は車椅子、左手はまるでゴムの作り物のように感じられ、自分の体ではないような奇妙な感覚を覚えていたことを思い出します。(続く)
(写真と本文は関係ありません)