
左半身が動かない!#4
◾️入院一泊目◾️
当時、脳関連病棟は満室で、なかなか入院の許可が下りなかったのは病床に空きがなかったからだと後から知った。
運ばれた病室は5階の相部屋で、声しか聞こえないが、中学生くらいの男子と初老の男性がいた。声だけだが張りがあり、何の病気なのだろうかと不思議に思った。ここは心臓患者専門の階で、ナースステーションに近い病室は急患対応のため、私のいる部屋は重病患者用だったのだ。
心臓疾患は通常は問題ないが、急に発症することもある。なぜ入院しているのか不思議に感じていたが、これから手術するのか、したのかはわからなかった。脳疾患で入院した私は場違いに感じられたし、麻痺のある患者は夜勤の看護師にとって手間が増えるので歓迎されない患者だったのだろう。
夕方、リハビリの理学療法士が来て、私の体の可動性を調べていた。手の回復は厳しいとの見解で、立てるようになるのがまず目標だと言っていた。振り返ると、かなり重症だったようだ。
3種類の点滴を受けながら左半身が不自由な状態だったが、その階には夜勤の看護師が少なく、私の入院はあからさまに嫌な顔をされた。
というのも、トイレで呼び出すと私を車椅子に乗せ、排泄の介助をしなければならないからだ。
そこで尿瓶をあてがわれた。これは、尿を貯めておける器で、形状は太い口がついたジョーロのようなもので、ベッドで使用できる代物だ。
点滴で薬を3種類も受けていたのでトイレが近くなり、右手だけを使って上手くベッドで用を足すことができ、なんとか最初の1日が過ぎた。
1日目の朝を迎えた。見慣れない白い病室の天井と、カーテンで仕切られた狭い空間。麻痺した体は夢ではなく、むしろさらに悪化しているように感じた。
外界との唯一の情報手段はスマホで、命綱だったが、バッテリーが少なくなっていることに気づいた。当時のiPhoneは充電コードを挿すタイプで、左手が不自由なため、コンセントに差し込む作業も10分ほど格闘してやっとできた。
文字を打つのも右手だけで、左手で支えられないため、テーブルにスマホを置き、指一本で入力を頑張った。当時、私はあるスタートアップのプロジェクトを指揮していた。その経営者は、無理難題でリソースが不足しているため達成不可能だと思っていたようだが、私はなんとかスキームを作り上げ、実現寸前まで進めていた。
左半身の麻痺でも務まるか不安だったが、企画がメインのため、時間はかかるが右手だけでなんとかなるだろうと思っていた。経営者に入院を余儀なくされた経緯をメールで伝えたが、返ってきた回答は「診断書を提出してください」の一文のみで、とても冷たい対応だった。
おそらく、その事業が完遂できないと思われ、逃げたと誤解されたのだろう。それで証拠を出せと言われたのだと思う。
後日談だが、この仕事は退院後にスタートし、業界で初めて行政と協定を結び、リソースが不足している部分は他社と提携することで補った。他社も踏み入れたことのない新たな事業を構築し、無事に実現にこぎつけた。(続く)