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新幹線とアサシン

先月、東京から福岡まで、新幹線に乗りました。しくじったのはA席にしてしまったことです。進行方向からいくと富士山はE側になります。しかも朝に乗ると日がA側に入り眩しいのです。しかも最大の問題はA席は3列席の窓側であるということです。

東京駅から乗車すると、ガラガラの席にポツンとオレンジのキャップをかぶった青年が座っており、心の中で近寄りたくないなと思っていたら、なんと同じ列でした。彼はB席に座っており、私はE席に座りました。しばらくして切符を確認したらA席であることに気づき、青年に深々と礼をして奥の席に座らせてもらいました。

空席が目立っているのに、B席に腰掛けていること。そして、紙の手提げ袋とペットボトルの水というちょっと買い物みたいな感じで。私はこの軽装だと新横浜か名古屋で降りると思い内心ほっとしました。

服装はアロハシャツに短パン、南米と思われるほりがふかくすこし褐色の肌色という風貌で、しかもあちこちに、ワンポイントのタトゥー(刺青)が彫られており、しかもその絵柄が悪魔がナイフを持っているようなもので、もしかしたらコロンビアの殺し屋ではないか? ガラガラの席に二人並んでいるのを考えると彼はヒットマンで、もしかしたら私がそのターゲットなのではないか?紙袋の中はプラスチック爆弾でこの席から粉々になり、明日の朝刊のトップに私の名前が載るのではないか? と心の中で十字を切りました。 

名古屋に到着しました、ここまで命があることを神に感謝して、ヒットマンともお別れかと内心ほっとしました、これからトヨタ関連の仕事に行くんだな、日曜日だから東京でライブを楽しみ、羽目を外したんだな、明日から仕事ご苦労さんと思い送り出そうとしたら、なんと後ろの人とスペイン語? で話し始め、リクライニングをほぼ最大まで下げ、オレンジのキャップを御遺体のお顔にかける布のようにして爆睡し始めました。

名古屋を通過しました。そうなると次は京都ですが、起きる気配はありません。しかも3列の席は肘掛けがありますが、C席のか弱そうな女性の左の肘掛けをヒットマンは右手の手のせ、A席私の右側の肘掛けを彼の左手が占領し、しかも大股で彼の左足が私の右足に触れるのですが、ナイフの刺青が私の右腿をえぐるようで気が気でありませんでした。

新神戸を通過しても爆睡しています。さらに悲劇が、新大阪あたりから尿意を感じておりましたが、彼を起こすことはまさに寝た子を起こすようなもの。もしかしたら爆睡したふりをして私の喉を掻き切ろうとしているかもしれないし、彼は私に寄りかかるように、いや、覆いかぶさるように寝ており、自分を盾にして私の息の根を止め、オレンジのキャップを私へのせめてもの弔いのプレゼントにしようとしていると思うと、背中に冷たい汗をかきつつ、尿意を感じているのはまだ息がある、生きている実感を喜びながら、岡山の駅からの車窓と、駅に降りたこれから観光する、帰省するのんきな人々の笑顔をうらやみながら、ヒットマンとは博多まで一緒なんだ、終点に着いたときが私の命の灯火が消えるとき、喉を掻き切られるか、薬物を打たれるのか? それとも紙袋のプラスチック爆弾が起動して博多駅に悲劇が起こるのか?

心の中で、巻き添えで多くの人が被害に遭わないように、私ひとりで十分だと思い、心の中でお世話になった人々に感謝の言葉を反芻しました。
新幹線の車内のサイネージには、「新倉敷を通過しました」と表示され、博多までの停車駅を指折り数え、命の双六のように、小倉に着いたら、終点までの時間は少ないのでせめてスマホからお世話になったひとびとに感謝のメールを送ろうと思いました。

広島は私が昔住んでいたところです。駅前に大きな野球場ができあがり、三角州のこの場所は高層建築と地下鉄ができないと言われておりましたが、高層ビルが立っているではないですか? 人知の力に改めて敬意を払うと同時に、車窓から見える大きな建物の壁面に「CARP」と赤い文字が、血の色に見えて不吉な私の未来を暗示しているようでした。

隣の男がいきなり立ち上がった瞬間、心臓が一瞬止まりかけましたが、彼はゆっくりと紙袋を持ち、何事もなかったかのように通路へと向かいました。私はほっと胸を撫で下ろし、彼の背中を見送りながら、心の中で静かに「アディオス、アモーレ」とつぶやきました。

広島といえばカープ、カープといえばマツダ、おそらく彼はマツダに勤めているのかもしれません。

博多に着いたとき、彼の存在がすでにどこか遠い夢のように感じられました。振り返ってみれば、全ては私の勝手な妄想に過ぎなかったのです。紙袋の中身も、ただの土産だったかもしれません。真実は分からないまま、夏の思い出として記憶に刻まれたのは確かです。命の危機に瀕したように感じたあの数時間も、いま思えばひと夏のアクシデントでした

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