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テヘランからきた男
東芝の歴代社長に西田氏という方がいました。この方は東芝のデスクトップPCの将来性を危ぶみ、シェル型のノートブックPCを提案し、成功を収めました。現在のノートPCの原型に東芝が大きく関与しており、その基盤となるアイディアを生み出したのが西田氏です。
驚くべきことに、西田氏はもともと臨時職員で、イランで採用され、めきめきと頭角を現し、最終的に社長に就任したという、まさにわらしべ長者的な人生を歩んだ方です。水を得た魚のように、次々と上流を目指して上り詰めた人生でした。
イランでのエピソードも非常に興味深く、特にイラン人の奥様の内助の功が大きかったことが印象的です。奥様はとても聡明で、起点の利く方であり、西田氏を東芝に紹介したのも彼女だったそうです。二人は夫婦としてお互いを支え合い、晩年も幸せに暮らしたと伝えられています。
西田氏がなぜ頭角を現したのかというと、イランという国で、さまざまな問題が発生した際、どれも前例がなく、マニュアルに当てはめて解決できないことばかりだったそうです。西田氏はそんな問題を次々と解決していきました。例えば、欧州の会計と日本の会計が混在していて、非常に非効率な会計処理をしていたのですが、西田氏は会計の知識がないにもかかわらず、洋書の会計書籍を読み込み、それを和訳して東芝の担当者に引き継いだようです。会計を知らない人がそこまでの高度な仕事を成し遂げたのですが、これは彼の功績のごく一部に過ぎず、他にも多くの実績を残されました。
西田氏は集中力が高く、一心不乱に処理する類稀な能力を持っていたようです。しかし晩年には胆管がんを患い、集中力が続かなくなったといいます。天才であっても、健康が悪化するとその能力を発揮できなくなることを痛感しました。
また、彼の慧眼は原子力分野にも及んでおり、特に加圧式原子力への投資は、東芝にとっての大きな挑戦でした。しかし、ウェスティングハウスの買収後に生じたコスト超過やプロジェクトの遅延が、東芝の財務を圧迫し、最終的に破綻の引き金となってしまいました。彼のビジョン自体は正しかったものの、その実現に至る過程でのリスク管理や市場戦略における判断ミスが、東芝の失敗を招いたといえます。
晩年、胆管がんに苦しむ中で、彼が歩んだ成功の影には、健康上の問題で判断力にもしかしたら影響を与えたのかもしれません。
経営者は多くの人の生活を背負っているので、健康上の問題が悪影響を及ぼすなら、影響を最小限に抑えるための代替え策なども考えるべきと思いました。
歳を重ねると、一番大事なのは時間であり、二番目は健康であると強く感じるようになりました。お金がその順位に入ってこないのは、不健康だとすべてのパフォーマンスが落ちてしまうからだと考えています。
『テヘランからきた男』(児玉 博著)という書籍には、西田氏の成功と東芝の凋落が書かれていますが、非常に面白い本でした。