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奇譚話#1 お彼岸の出来事

彼岸は、昼と夜がほぼ同じ時間の時期を指し、年に2回、春と秋に訪れます。その日を境に前後3日間が彼岸とされ、3日前が彼岸入りと呼ばれます。この時期は、現世(此岸)とあの世(彼岸)の距離が最も近くなるため、供養を行うことで故人とのつながりを感じることができると言われています。

ちなみに、秋分に供えるのはおはぎ、春分に供えるのはぼたもちと言われますが、実は同じ和菓子で、萩と牡丹にかけているそうです。

秋分に入る前、高校の恩師の夢を見ました。

亡くなられてから、私は葬儀には参列しませんでした。というのも、自分の人生に自信が持てず、同期に再会するのが嫌だったからです。誇れる自分がいないことに葛藤があり、先生の供養よりも自分がどう見られるかという、とても心の小さい人間だったのです。

恩師のお墓は遠方にあると思われるため、気軽に行ける場所ではありませんが、この度、仕事でその方面に行くことになりました。

心の中で、「墓前に手を合わせるべきだ」と強く思い、唯一の友人にLINEでお墓の場所を知っているか聞きましたが、わからないとの回答でした。その友人以外の高校時代の人の連絡先はまったくわからないので途方に暮れましたが、諦めずに頭を働かせました。

まず、インターネットで恩師の名前を検索したところ、Wikipediaが出てきて、先生の功績を称える文章がありました。それを改めて読むと、その功績は世界レベルのものであり、改めて先生がとても偉大な方だったことに敬意を抱きました。しかし、いくらググっても個人情報の壁があり、墓地の場所を見つけることはできませんでした。

そこで、関連のFacebookページにたどり着き、Messengerで自分の素性と、彼岸なので墓前に手を合わせたいという旨を伝えて先生の墓地の場所を教えていただけないか依頼しました。

もし当日中に返信がなければ、素通りして帰ろうと思っていたのですが、奇跡的に返信があり、菩提寺がわかりました。電車でかなり揺られ、郊外のその場所に着きました。お墓のほとんどは「倶会一処」と刻字されており先生の家の墓かわかりませんでした、なので寺務所の扉を叩き、お寺の親切な、恐らく住職の奥様にお墓の場所まで案内していただき、念願叶って先生の冥福を祈ることができました。

亡くなって17年後、先生に再会することができたのです。

お話をしている際に、先生の実家を教えていただき、思い切って訪問することにしました。そこには先生のご子息とその家族が住んでおり、快く家に上がらせていただき、仏壇にお線香をお供えすることができました。家の方と先生の思い出話をし、その功績を称えるトロフィーや額を見せていただきました。改めてその偉業に感銘を受け、3年間、先生からご教示いただき、薫陶を受けたこと、そしてその時の厳しい経験が社会に出てからも大きな力となったことを心から感謝しました。

実は、その日の朝、ホテルで、なぜか朝食の小さいパックのバターを持ち帰ったのです。

仏壇にお参りするとき眼鏡を外して置いておいたことを忘れ、家を出て50メートルほど歩いた先で気づいて引き返しました。その際、家の方からある「宿題」をいただき、ご自宅で製造・販売している、パンをいただきました。

バターが先でパンが後とその偶然にすこし驚きました。

そして、駅の待合所でぼーっとしていると、展示してあった皿が突然倒れ、その奥から石飾りが現れました。

これが不思議な出来事かはわかりませんが、まず墓地の場所がわかり、ご自宅も教えていただき、突然訪問したにもかかわらず連休中に家の方がいらっしゃったこと、そして快く迎えていただいたことを考えると、恩師があの世から私の行動を見守り、導いてくださったのではないかと思いました。

帰り道、先生がこの道を春夏秋冬歩いて高校に通われていたと思うと、また、この地で育たれたことを考えて涙が込み上げてきました。

供養に来たつもりが、なぜか逆に力をいただいた気がしました。そして、何か成すべきことがあると、背中を押されたような気がしました。

昼は、昔よく通っていた今も繁盛しているお店に顔を出し、いつもとは違う奥の席に座って食事をしました。食後右側を振り返ると、そこに木像があり、炊いていないお米とお賽銭が小さなカゴに供えられていました。心の声で「供えなさい」と聞こえたので、まずお賽銭をお供えし、会計が済んだ後にもう一度「100円を供えなさい」と心のささやきが聞こえました。すると、私の将来に関するメッセージが心に響きました。

これが本当になるかどうかは、今後の私の人生次第だと思います。もし実現したら、その時に公開しようと思います。

人生を振り返ると、思い通りに進まないことが多いものです。しかし、よさそうな道は歩かせてくれないのですが、その先で人生を覆すような悪いことが起こることがあったなと振り返ることが多々あります。反対に、苦しそうに思える道を選ばされた時、その道が他の選択肢より結果良かったことがありました。

今回の一連の出来事は、特に障害なく進むことができました。このような時は良いお導きであると捉え、自分が人生の新たな岐路に差し掛かっているのかもしれないと感じました。

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