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人手不足で見えてきたこと

 どうも皆さん。ラバハと申します。
アラフィフ氷河期世代のオッサンで、文化批評なんかを書いてます。

この記事では、建設業、運送業などで若い人が確保できず倒産するケースが増加していると述べられています。更に人材確保には給料増額の原資が必要であると指摘しています。

確かに運送業は2025年問題も控えて更に見通しは暗く、建設や教育といったいわゆる社会インフラを支える業種の人手不足も毎日のように耳にしますし、実感として、色んなサービスの待ち時間が長くなったなと個人的に感じています。

これは一体なんで起きてるのでしょうか。

今回は、以前こちらの記事で少し触れた、私たちの感じる正しさという観点からその理由や私たちの倒錯について論じたいと思います。


私たちの正しさ

私たちは、生まれたときから、なんとなく他の人と比べられ、競争し、勝つことを求められてきました。それは有史以来、人が生存する為に必要なことだったのでしょう。
だから、私たちは自分の夢や願いを叶えるため、努力を続け、嫌なことにも耐え、自己実現を目指します。それが正しいことだと学校の教室でも、アーティストの歌の中でも教えられてきました。

しかし、それ自体、本当に無条件で正しいのでしょうか。考えてみましょう。


少し角度が異なりますが、ここである設問を提示します。それは、なぜ、介護や看護、保育や教育といった仕事はいつも人手不足なのか?というものです。


市場経済が評価するもの

理由としては、給与が安い、きつい、大変だ、等が挙げられるでしょうか。では、なぜ給与が安いのでしょうか。給与が高ければ就業者も増えるのに、なぜ増額しないのでしょうか。他業種との兼ね合いや、そもそも誰が出すのかという問題があるそうです。

しかし最大の理由はそこではなく、私が答えるならは、シンプルに市場経済が要請するからだと回答します。


市場のすごいところ

市場(マーケット)は、あらゆるものを商品化してしまう力があります。例えば、井戸の水を汲んで飲むのはただです。しかし、それでは市場は困ります。ならば、水道管を配備し、家の蛇口まで運びます。そういったサービスを提供し、貨幣を介在させます。これが社会の商品化です。

更に市場の驚く面は、その便利さだけではなく、保険サービスや金融商品などに見られるように、無から貨幣を生み出すことです。つまり概念すらも商品化してしまったのです。

そして、一番すごいところは、ほぼ全人類がその市場から独立した個人としていられない、という点でしょう。生まれた時点で、家や電気やガスといったサービスの上に生活があり、市場への参加を余儀なくされるというシステムの中にいます。私たちは、井戸を掘るという選択肢がはじめからないのです。この人類は原罪を背負って生まれるというような、ある種、宗教じみたシステム論は市場の持つ本懐なのかもしれません。その意味においては、市場経済は人類最高の発明だと、皮肉ではなく素直に思います。


貨幣の持つ側面

さて、市場の王様は貨幣と言われるように、貨幣は皆の人気者です。もちろん私も大好きです。
ではなぜ貨幣は皆から好かれるのでしょうか。
それは、貨幣が簡単に何とでも交換できるからでしょう。そして、この貨幣は、市場供給量が一定であるという側面を持っています。

このことが何を示唆するかといえば、我々は他人と競争してより良いサービスを提供し、貨幣を多く得ようと努力するのですが、それは全体のパイの分け合いの比率を決めるだけであって、貨幣量を増やしている訳ではないということです。

つまり、市場にある貨幣を、それぞれみんなで合意形成し分け合っているということであり、その合意形成がまさに、競争の結果なのだということです。逆に、貨幣を多く貰える人は、人より努力し、自己を高めてきた人でなければならないとも言えるでしょう。

また、市場から多く貨幣を受け取る人は、市場の中で役立つ商品を生産しなければいけません。例えば、あなたが保険の仕事をしていて、パソコンで作業したデータで、新たな保険サービスを生み出すといったイメージでしょうか。生産したものが、より市場で価値があれば、より高い報酬を得られます。


非商品は価値がない

さて、ここまででお気づきになりましたでしょうか。はじめに提示した設問の答えになります。
なぜ、社会に役立つ仕事は、相対的に給料が安いのか。それは、介護や育児、教育やインフラといった仕事は、それ自体が商品にならないからと言えるでしょう。つまり市場から評価されないのです。幼児やお年寄りはもちろん商品ではないですし、ゴミの収集も、信号機の修繕も、警察の治安維持なども、市場で交換されないものは評価されにくいというわけです。評価されないから給料が安くなり、更に人手不足になり、サービスの質が低下します。そしてそれはその社会に住む自分自身にも影響するという悪循環が見られます。

例えばこのまま、少子化とのダブルパンチで人手不足が加速したら、どうなるでしょう。
道路はあちこちヒビ割れて、古い建物が残され、線路が悪くなりしょっちゅう電車が止まり、停電も頻繁に起こり、病院はいつも満員で、町にゴミが増え、警察などの治安も悪くなり、子どもの教育、親の介護サービスの質も悪くなるかもしれません。

夢を信じて自己実現を叶えて生きていけばいいさと、かつて誰かが歌ったように行きていけば、このように社会インフラは貧しくなるのかもしれません。

最後に

では、私たちはこの問題をどう捉え、どう解決すれば良いのでしょうか。QOLの高い社会インフラを保ちつつ、市場経済をライドする方法はあるのでしょうか。

次回は社会保障や平等という点から考えていきます。今回はここまでです。
最後までお読みいただきありがとうございます。


追記
ひとつ胸くその悪くなる未来予測を。
市場が評価しないのであれば、そのうち赤ちゃんやお年寄りまで商品化するかもしれません。さながら赤ちゃんファンドや、長く生きただけポイント進呈!終活はポイ活だ、など電車の中吊り広告にさもありなん。ですね。






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