ポケモンについて
こんにちわ、今回は大好きなポケモンについて書くよ
前回ポケモンの生オケの話を最後にちらっと書いたので、それで今回はポケモンにしようかなって。
ちなみに最近のポケモンはやってません!昔死ぬほどやってたけど、なんでかわからないけど今のポケモンやる熱意がなくてできない・・・ってのに共感できる人いないかな?自分でも原因はわからないけど。
初代ポケモンとの出会い
始まりはやっぱ赤緑、僕は緑を選択しました、理由は弟に赤を譲ったから。
当時の僕は小学2年生、明白な記憶がないけど、小学校の友達とかではなく母親の知人の家に遊びに行って、その時に年上のにーちゃんがやっているのを見たのがキッカケだった気がします。
当時父親の所持品で初代ゲームボーイ(単三電池4本で動くめちゃくちゃ燃費の悪いゲームボーイ)が1台あったので、追加でゲームボーイポケット(初代の後継機で小型化した物、白黒なのは変わらず単4電池2本で動いてた気がする)を購入してもらいそれぞれ遊んでた。
僕は上記のにーちゃんが使ってたカメックスが強い事を見ていたので迷わずゼニガメを選択してました。
当時はとにかくれいとうビームが強かった、凍ったら勝ちみたいなねー、カメックスもれいとうビーム無双してた記憶あります。
小学生低学年の当時ですが、タマムシシティとからヤマブキシティへの行きかたがわからず詰みます笑
そこで助けてくれたのがI君、彼には兄者がいたからかゲームの知識凄かったです、やはり年上のにーちゃんがいると情報がたくさん入ってくるのかな・・・いろいろな悪さ(当時のゲームで言うと裏技をはじめPARみたいな改造ツール等の知識)は彼から教わった。
無事四天王とグリーンを倒してゲームクリア、当時はそれだけでした。
のちにセレクトBBバグを使ったレベル100の裏技を使ったりしてコネクタと通信ケーブルを使ったポケモンバトルなんてものやりましたけど、プレイ時間的には50時間とかだったのかな・・・多分その後に出たテリーのワンダーランド(通称テリワン)とかの方がたくさんあそんだ記憶あります)
赤緑の後に青とかイエローverもありましたね、青は手に入らなかったのですがイエローは手に入れました、まあ内容はさほど変わらないですがI君の改造を利用してなみのりピカチュウを手に入れてピカチュウの波乗りサーブボードというミニゲームをめっちゃやってた気がします。
個人的本編と関係ないミニゲームではめっちゃ面白かった記憶があります、スーファミにマリオRPGってゲームがあるんだけども、そのゲーム内で遊べるミニゲームの爆裂カブトムシくらいの中毒性あります、知ってる人いるかな・・・
アニポケ開始
そして小学3年生から伝説のポケモンのアニメ(アニポケ)が始まります、第一話は感動的な話でしたね、のちに書く漫画ポケスペも主人公がピカチュウを連れているのはこの設定を活かしてますね。
当時はVHS(ビデオテープ)が主体でした、片面2時間くらい録画できたのかな?それで毎週録画しては次の放送まで何度も見返してました。
世代としては1話はリアタイで見ていたし、ミュウツーの逆襲とかも劇場で観ました、よく覚えています。
アドバンスジェネレーション手前くらいまでは毎週観ていたと思いますが長い事観ていない時期がありまして、昨今サトシがついにリーグ優勝してアニメが完結すると噂で聞いた時はラストバトルの回と最終回を観て泣いてしましました、サトシお前ホント成長したなって。
サトシがボロボロの靴を大事にしてるところとか、そういう細かい所も昔からのネタで使われていますね(タイプワイルドの歌詞とか)
途中見てない時期は非常に長かったですが、アニポケは素晴らしいと思います、ポケモンの良さがここにも詰まっています。
金銀
時は流れ、ゲーム金銀時代です。
僕は当時小学5年生、初めて徹夜したことを覚えています笑
事前情報はコロコロ等で把握してました、なんと時間を設定することで朝と夜の概念がゲームに存在するのです、画期的!!!
時間という概念を入れたことで、きのみを育てる事が出来ました、そして育てたきのみをポケモンに持たせることで(今作からきのみ以外にも道具を持たせる機能がついて、特定タイプの技の威力が上がったりします)状態異常を回復したりできるようになります。
植えて実がなるまで育つのが待ち遠しく、又新しい地方(ジョウト)をクリアするとカントー地方に戻る事も出来たりと、赤緑青黄をやっている人ならなおさら楽しい仕組みになっていました。
四天王を倒した後もカントー地方に行きカントーの四天王と戦う事が出来る、初代に比べるとボリュームも相当アップしてましたね。
アカネのミルタンクが強いのは有名な話ですが、僕もちゃんと洗礼を受けました。
金銀のライバルはサカキ(カントー地方の8つ目のジムリーダー兼ロケット団のボス)の息子という設定がありましたよね、悪の親玉の息子ということもあってか最初はポケモンを戦闘の道具としてしか見ていなかったのですが、何度戦っても勝てない主人公との対戦を経てポケモンへの愛情や信頼が更なる強さに必要なんだという事に気が付く人としての成長も垣間見える、そんな良きシナリオになっています、実際に彼はゴルバットを手持ちポケモンとして使っているのですが、親愛度が高くないと進化しないクロバットを最終的に使ってきます。
この親愛度システムも当時画期的でした、目に見えない数値のためわくわく感を更に掻き立てましたし、僕は当時からブラッキーが大好きで、この後に書く最盛期でも準主力として使う事となります。
後、金銀には殿堂入り後に戦えるトレーナーとしてシロガネ山の最奥部にレッドが待ち構えています、レッドはカントー地方の元チャンピオンです。
これが熱い演出で好きでした、NPCトレーナーなのに手持ちがめちゃくちゃ強いし御三家使ってるのもいいなーと思いましたね。
子供心をくすぐる演出には脱帽です。
ポケスペとの出会い
当時ポケモンを題材にした漫画「ポケットモンスターspecial」を読んでました、これも友人I君のおかげでしたね、当時僕は漫画という物を持っていなかったけど、毎日彼の家に入りびたり(I君のお母さんお父さん、当時は毎日のように入りびたるクソガキを温かく受け入れて下さいましてありがとうございました・・・)その漫画に出会います、小学生ながらめちゃくちゃ感情移入というか・・・なんというかあの漫画が好きでした、読んでいた人は多かったんじゃないかと思います。
あの漫画のおかげでポケモン好きが加速した感もありますね。
1~7巻が赤緑青黄編なので、僕はそこしか読んでいませんがその後もずっと続いている漫画です、ポケモンを題材に漫画描くなんてすごいですよね・・・言い方アレですが勝ち確やん。
ルビサファ時代突入
時は流れ2002年、僕は中学2年生になりました。
この年の冬にポケットモンスタールビーサファイアが発売します。
僕は当時ポケモン以外のゲームとかにお熱で発売日にゲームは買いませんでしたが、しっかりこのゲームとも出会いそしてポケモン廃人へ片足を突っ込むことになったのです笑
このゲームに出会ったきっかけは友人S君とY君、S君とは未だに付き合いがあり、最近になって僕が結婚した事をきっかけに久しぶりに連絡をとり定期的に飲みにも行っています。
細かくは覚えていませんが、まあポケモンやろうぜって流れから新品ではなく中古のサファイアを購入、当時データが残っておりレベル100のカイオーガとメタグロスがいたのを覚えています、他にもチルタリスとかミロカロスもいたかな・・・目ぼしいポケモンを移植して最初からスタートしました。
ルビサファの印象はとにかく音楽や映像がきれいになってて、アニメーションとかも進化してて全くの新しいポケモン、技術的進化をとても感じました。
登場ポケモン自体も一新されて御三家はキモリ・アチャモ・ミズゴロウでした、僕はアチャモを選択何故かというと専用技のブレイズキックがかっこよくて惹かれたから。
ただ種族値(専門用語です、ポケモン毎に裏で設定されている能力値)が微妙で、技も今ほど豊富では無いのでストーリー攻略だけなら問題無いですが対戦ではちょっと使いにくかったですね。
今作の特徴は点字を使って謎解きして伝説のポケモン(伝ポケ)を探すシステム、海を渡るだけでなく潜るシステム、新たに追加された木の実(手に入れること自体が非常に難しい、そいうか運ゲーで毎日1/65535を引いたかどうか確認しなければいけないので、確認を逃すとまた次のタイミングまで待たなければいけない)とかとか、あげたらキリ無いですね、選んだソフトによって登場する伝ポケが決まるのは金銀からですが、今作はなんと世界が干上がるか水没するか選べます笑
当時は種族値努力値はほんとぼんやり存在を知っている程度でしたが、遺伝技の概念は理解できたのでS君と孵化作業をして遊んでいたのを覚えています。
バシャーモにこえらる・きしかいせい・カウンター等を遺伝させたことをよく覚えています(当時すばやさを上げるという概念も手段も僕は持ち合わせていなかったので、今でいう「こらきし」を使いたくてもこらえた次ターンにやられてしまう事が多かった)
でもこの作業こそが後々の厳選作業に繋がっていきます・・・
そしてこの時期に現実世界のポケモンセンターと出会います、当時は浜松町にありましたが、当時S君とY君とポケモンセンターへ行ったり配信ポケモン(場所は覚えていないのですが、確かねがいごとを覚えたタツベイとかラルトスが貰えるかも!というイベントでした)を手に入れるべく3人で出かけたりしましたね、結局手に入らなかった気がしますが(ポケモン自体は何回も並んで何匹も手に入れたけど)よく覚えています。
ファイヤーレッドリーフグリーン
時は2年経ち2004年の1月、続編(というかリメイク)のファイヤーレッド・リーフグリーンが発売となります。
今作は発売日に手に入れてプレイしてました、特徴としてはクリア後にプレイできるオリジナル要素の「ななしま」、前作より媒体がゲームボーイアドバンスになっているのですが、外付けの赤外線通信用の端末(当時はあなり理解が追い付いておらず、これを付ける事で世界中の人と通信できると勘違いしてました)が付属されておりました。
ゲーム自体の記憶はあまりないのですが、ななしまの記憶はあります、やっぱ新要素に対してわくわくする傾向にありますね笑
この作品ではあまり遺伝だのなんだのってはやらなかった記憶がありますが、友人T君と一緒にプレイしたのを覚えています。彼ともいまだに繋がりがあり彼とはポケモン以外のゲームをすることが多かったです。
無気力高校生時代
そして中学を卒業し高校生になります、先述の友人たちとは小中と一緒だったのですが高校でバラバラになりますね、一時的に疎遠になります(多少は会っていましたがスマホ等無い時代ですのでお手軽に連絡が取れるツールが無かったことも原因かと思います)
僕は高校生になりラクナロクオンラインというMMOゲームにどっぷりはまります、どっぷり全身浸かってました・・・このゲームが生活の中心と言っていいほどに。
中学まで学年全員友達!ってカンジだったけども、井の中の蛙でしたねー割と品のいい学校の出だったせいもあって品の無い高校(失礼)に入ったギャップからか友達をほとんど作らず自ら壁を作って孤立してました、友達と言える友達はおらずクラスで会話できる人が2,3人という笑
そりゃつまらないですよね、よく耐えれたなと思います。
多分親もただならぬ空気を察知したんだと思います、原因が先述したオンラインゲームだと思っていたらしくこれを取り上げられました。
全身浸かっていた僕は当然突然取り上げられれば中毒者の如くのたうち回りましたね笑
まあゲームも薬もやり過ぎは良くないですね、うまく付き合わないと(薬はやめましょう)
ちなみに2年で顔なじみが増えて3年ではクラスに何人も友達が出来ましたが、当時めちゃくちゃこじらせてたので大した人数ではないです。
それでも今定期的に会う友達H君とTwitter(X)でつながっているK君がいます、高校時代の友達なんて2人もいれば充分でしょ・・・。
ダイパプラチナ(全盛期)
僕が高校3年生の時にポケットモンスターダイヤモンド・パール(ダイパ)が発売となります、僕はもちろん発売日には買いませんでしたが、これを大学生になってから購入します。
大学2年生の時にダイパのマイナーチェンジであるプラチナが発売します。
ここから今もかろうじてつながりのある大学時代の友人O君とK君と一緒にポケモンを厳選する廃人への道を進み始めます。
当時はスマホがだいぶ普及してきたころ(iPhone4を使っていました)で、まあ厳選とはなんぞや、というところからはじまり僕は久しぶりに友人S君に連絡を取ります、そして彼は僕より先に廃人への一歩を歩んでいたのを知ります。
今でこそ簡単に理解できますが当時難解だった種族値や努力値や性格・遺伝・孵化・育成等の様々な疑問を彼にぶつけ教えを請いました、そしてそれを大学メンツへ共有します、友人S君はとても親切で厳選中に出来たポケモンを僕に譲ってくれます、そのおかげで僕は飽きずに時間をかけて様々なポケモンを育てていくことになります。
O君K君とも講義帰りのマックでポケモンバトルにいそしみました、O君はちょっと変わった面白い子で実値を種族値と勘違いしたりと最初こそ理解してない所は多かったですが後に独特な選出で周りの人とは一風変わったメンバー構成だったり、変わった戦術を披露し沸かせてくれます(それでバトルに勝ててたとは言っていない)
対するK君は高種族値の王道をいく選出が多かったですね、O君の意味不明な戦術に放浪されたりして何でか勝ち運には恵まれていなかったイメージですが、和気あいあいと遊んでましたね。
平日は大学メンバー2人と、休日は地元メンバーのS君とYB君(新キャラ、バイト先が一緒だった)の2人とポケモンをやる事が多かったです。
後に僕はめんどくさいので平日メンバーと休日メンバーを引き合わせて休みの日にファミレスで皆でやることもありました。
そして僕がポケモンにどっぷりだと知っている友人から、友人の友人が勤めている近所の中古ゲームショップでポケモン大会を開こうと企画しているのだが参加してくれないか?と打診があります、人が来るかわからないからという意味合いだったので僕は上記の4人にも声をかけて5人で参加する事にしました。
人があんまりいなければ身内大会みたいになっちゃうけどねーあはは的なノリで、準備は各自ばっちりやって当日を迎えます。
ゲームショップにたどり着くとなんと店舗の外まで続く長蛇の列・・・
合計50人程度集まったようです、俺らいらなかった。
最終的に友人の友人からはちゃんとお礼を言われました、おかげで大盛況だったと、会員にならないと参加できなかったこともあり凄い会員が増やせたと言ってました。
大会ですが50Lvフラットの6→3です、伝ポケは使用不可
結果は1回戦は全員突破、2回戦から1人ずつ敗退していって僕とYB君が準決勝(5回戦くらい)でそれぞれ破れました。
もちろん大会慣れなんてしてないので緊張しましたね、緊張のせいで相手のメタグロス(特性:クリアボディ)にいかくウィンディを出したのか致命傷となり敗北した事を覚えています、悔しかったですね。
ただ苦労して作っためざパ氷69サンダースでグライオンを1発で倒したりと準備してきた苦労が随所で報われたのがうれしかった、後僕とS君YB君の3人は準伝や600族を使用しないという縛りも課していましたが、それでこの内容は大健闘だったと思っています。
帰りのマックでYB君と気の抜けた3位決定戦を皆でわいわいやったのもいい思い出ですね。
あの頃は全員知識もかなり高水準だったんじゃないかなと思います、当時は今ほど種族値がとんがったりしても無かったので、誰も使って無いようなポケモンでも使い方によっちゃ強いポケモンを倒すことも出来た時代です、ポケモン自体の強さを知識で補っていける
厳選方法も今とは比べ物にならないほど大変でした、性格特性の固定が出来ず(性格は1/2で受け継ぐ)、個体値は親の12か所のうち3か所を遺伝(今は固定可能)なので3Vが出来たら充分すぎる位の感覚です、運が悪いと15ボックス(1ボックス30匹)埋めても欲しい個体が出ないなんてのは普通にあります、加えてめざパまで厳選したら大変でした(めざパは6つのステータスの偶数奇数の組み合わせでタイプが決まり、各個体値を4で割った時の余りが2以上の時に加算される計算式で威力が決まる)
理想個体産まれたー!めざパのタイプは・・・毒・・・やり直し・・・
理想個体産まれたーー!めざパのタイプ・・・氷キターーーーーー!威力は・・・30・・・オワタやり直し・・・みたいな。
1週間で1匹完成したら早い方でしたね、僕はそれをこじらせて色違いのポケモンまで厳選したりしてました(1/8192で産まれるもしくは野生で遭遇する)
色違い孵化にはいろいろやり方があって、僕は電源を切らないで産まれるまで孵化し続けるパワープレイをしてました、結果うまれたのが2000~3000匹目の間で期間は1か月半かかりました、ポニータの色違いです。
幸い性格一致の2Vで遺伝技もあるので対戦で使えるレベル、当時の自力色違いはロマンです。
相当な時間を費やしましたが対戦で使える様に育成したポケモンはボックス3つ分くらいでしたね、まあそれだけいれば十分だと思いますが。
DSも3台くらいありました、ソフトは3つか4つ(ダイパプラチナだけで)、当時のやる気は凄かった・・・いわゆる国家資格取れたんじゃね?くらいの時間費やしたと思います。
当時現実世界のポケモンセンターで誕生日にセンターのお姉さんとポケモンバトルが出来るイベントがありそっちにも行ってました、2回くらい戦った記憶がありますが知識もさることながらとても強いんです、凄いですよね。
当時はまだオンラインで誰かと戦う手段がWiiで発売してたポケモンバトルレボリューション(64で出てたポケモンスタジアムの系譜)しかありませんでした、僕は持っていなかったのですがS君からWiiごと借りた記憶があります、彼はこれで腕を磨いていたんだと思います。
これが面白くていくらでも遊べてしまう、今でこそオンライン環境下のswitchがあればいくらでもなんですが、当時はとにかくこれが画期的で家にいながら世界中の猛者と戦えることに興奮してましたね、もちろん負ける事も多かったのですが種族値による暴力で戦術的敗北はそんな無かったかなと思います、逆を返すと戦術的敗北をする様な相手にいつでもあたれるわけではなく、強いポケモンが並んでるけど持ち物が明らかに初心者だったり、名前からして知識が無さそうな外国の方だったりって事の方が多かったです。
ブラホワ(個人的やる気衰退期)
時は流れ2010年、完全新作のポケットモンスターブラック・ホワイトが出ます。
時系列的にはまだ大学生で上記の熱意のまま継続して遊んでましたが、ポケモンが一新して新しい技と特性と覚える事山積みです笑
そしてついに今作からオンライン環境下でDSだけあれば知らない誰かとオンラインで対戦が出来る様になります、勝ち負けで上下するレーティングという制度もあり楽しいポケモンライフが・・・と思っていたのですが、何とダイパプラチナで燃えすぎて燃え尽きてしまいます笑
レーディング自体は結構遊んでたんですが、今までの知識が活かせず思う様に勝てない事も多かったのがモチベダウンに繋がったんだと思います。
終わりに
とまあ思い出に浸りながら長々書いてしまいましたが、僕のポケモンライフは大体こんなところです、ところどころクリスタル・エメラルド・ハートゴールド・ソウルシルバー等抜けてますがサンムーンまではやってます、それ以降はやっていません。
ポケモンが増えすぎたり新要素についていけなくなったりと有りますが、大きな要因は周りの環境でしょうかね、モチベ保つのも難しかったです。
でもこれはポケモンに限らずゲーム全般に言える事です。
当時の「やりたくて仕方がない」「いくらでもやれる」という感覚が抜け落ちました、個人的な趣味で未だにゲームセンターでエクストリームバーサスというガンダムの対戦ゲーだけは定期的にやっていますが、なんなんでしょうね笑
大学生の時に必死にやっていたリズムゲームも社会人になって徐々にフェードアウトしました、今でもやれば楽しめるとは思うのですが、ゲーセンに通える環境でもないですし足は向かないです、根底にはやるからには上手くなりたい!という感情があるのかもしれません。
毎週末スプラトゥーン3を一緒にやっている友人I君T君にはおじいちゃん呼ばわりされておりますが、35歳に反射神経求めるゲームはもう酷なのかもしれない、でもエンジョイ出来ればいいという感覚なので問題ないしおじいちゃん呼ばわりもそんなに嫌ではないです。
ただやるからには勝ちたいという気持ちもありますので、より良い動きを出来る様に自分なりに研究した上でエンジョイです、最初から負けてもいいという気構えでゲームやるのは周りに失礼ですから。
だからこそ実際自分の動きに対して自分で「今の動きなんだよ・・・」って思って自分にイラついてしまう場面もあります、まあ若かったらちゃんとやれたのかって話なんですが笑
それでも前回の記事に書いた通り、ゲームBGMは大好きだしコンテンツに対する愛情だったりというのは変わらずあります。
ゲーム実況の動画を見るのも好きですし昔やっていたゲームのRTA・TAS動画とかも好きで今でも見ます。
RTAと言えばRTA in japanも見てます、スケジュール観て興味ある作品の時は時間を空けてかじりついてみてます、昨冬の金ネジキRTAはとても面白かったです。
だらだらと書いても仕方ないので今回はこれにて。
誰かに刺さったり、共感してもらえたらと思います。
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