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私と和歌山の旅 7 広川町

 この日もキャンプ場で砂利浜の心地よい波の音で目が覚めました。目覚めて見ると昨日よりだいぶ雲が晴れていい天気です。

寝起きに水平線

 このキャンプ場、来た日は夕方で、そこからはある程度明るい感じの曇りだったのでこんなに海が青いことに気づきませんでした。広い砂浜に面してるキャンプ場なのですが、この日は朝起きてあまりの清々しさにびっくり(゚ω゚)!!

キャンプの様子
まっすぐな水平線

 この日は太陽の光が浜辺いっぱいに満ちて本当に気持ちよかったです。帰るのが惜しいくらいに感じましたが。朝方はゆっくり準備をしながら10時前に帰路につきました。

 このときに宿泊した美浜町煙樹海岸キャンプ場を利用するのに何回かよったAコープがあり、帰りによりました。実はこのとき新型コロナが流行りかけていたときでまちではトイレットペーパーが品薄になっている時期でした。

トイレの紙

 一瞬、買って帰ろうかと思いましたが、これは水に溶けないタイプですかね。それだとさすがに買って帰ってもトイレに詰まらせてしまう。

 ただそれにしても、

ネーミングが!

 どういうことなんでしょうか!何か意味を含んでいそうですね。

  あと、実はこのキャンプ不登校の息子と七十を過ぎた私の父と3人で行っていたのですが、帰りがけに広川町という場所を通りかかったときに、

広川町


父が、「あー、ここ、濱口梧陵さんとこや」と言いはじめました。

だ、誰だろう?

 

浜口梧陵さんの像

 私は父が口にするまで聞いたことなかったのですが、どうやら幕末から明治にかけて、日本の発展に貢献した人のようですね。国語の教科書によっては載っているらしく、私が使用した教科書にはなかったので全く知らなかったのですが、知ってる人も多いらしいです。

https://www.tokeikyou.or.jp/bousai/siryo/Text_1-16_Japanese.pdf

「稲村の火」という物語が有名だそうで、どうやらこの村に津波が来たときに高台にあった“稲村”という稲の束に火をつけて、村人が避難してくるように誘導し、多くの村人が助かったとか。


広川堤防
この堤防は梧陵さんが造ったものだと言われています


 そして、付近にあった堤防には、

津波と
 逃げ惑う人々
逃げた先には
浜口梧陵さんが

 こんな堤防があったら、小さい子供にもわかりやすく、防災意識が根付きますね。このまちは防災のまちとして、スマトラ沖地震や東日本大震災のあとまた少し注目されたらしいです。

この日は穏やかな海

 こんな穏やかな海からは想像できませんが、一度地震が来ると大変なことになってしまうんですよね。

 そこからさらに北上し、

有田市へ

 みかんで有名な有田市に来ました〜、ただ、

みかんの季節ではなかった

 わざわざ来たわけではないですが、みかん、中でも親しみ深い温州みかんのなる季節は11,12月だそうで、この時期は一部の柑橘類が少しなっていただけでした。

 このときに「またみかんのなる時期に来よう」とリベンジを誓い、帰ったのでした。

そのときの続きが↓

つづく

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