香について

最古の記述は『日本書紀』。
淡路島に香木が流れ着いて、知らずに燃やしたところ、良い香りが漂って、島民が驚いて都に?帝に?献上したという。

仏教の伝来とともに香料を焼くことによる香の文化も伝わっており、仏教が貴族の間で流行するのに合わせて、香の文化も広まった。

→香を薫くのが日本で流行したのは、穢れの思想と関係があるのではないか。
死人から漂う腐臭=穢れを祓うものとして別の香りを上書きする。
土葬から火葬の流れの中で、人を燃やす時の独特の臭いを穢れと同一視し、臭いが移ったままにならないよう(穢れていると思われないよう)それを手早く消す=上書きするものとしての御香があったのではないか。

日本に本格的に伝来させたのが鑑真和尚で、他の文化を伝えるのに合わせて伝えた。
持ち込んだもののリストに薬品、香料があったとのこと。
合香術も伝わり、いくつかの香料を組み合わせて、より効果の高い、より複雑な香りを作り出すようになった。
貴族の間では、自分たちで作った独自の香りを競い合う「薫物合わせ」が流行した。

→日本の編集、組み合わせの文化と結合した。
何かと何かを組み合わせて独自の、より高度と考えられるものを作り出す文化となったのか。
文化の向上―文化に向上というものがあるのであればであるが。他に貴族に負けないように、権力争いの中で、ある種マウントの取り合いの中で、ステータスとして真似されないものを作り出すための複雑化ーには、このような貴族同士での競い合いの風習が寄与している。

鎌倉時代に移り、武士が権力を握る中で、禅宗が武士の精神とマッチしていく中で、御香の文化も広まった。それは、貴族のような複雑な合香ではなく、単体として、シンプルに沈香だけを薫く「一木だけの香り」が、香道につながった。

→削ぎ落とし、研ぎ澄まされて行く中で、道として日本で(違う意味での)複雑化するプロセスが道として昇華する。

その後、闘香という、香木の香りを嗅いで何の香りかを当てる遊びが流行した。

→利き香ということか。日本ではステータスとしてそれが何かを知っていること、そらんじられることが、優劣を示すものであった。

闘香が、その後の香道における聞香(ただ、香りを嗅ぐ、香りと向き合う)、組香(いくつかの御香を嗅いで、何かを当てること)につながった。
組香は、江戸時代に発展した町人の文化の中で流行した。
一方で、手軽で持ち運びに便利な線香が中国に伝来し、庶民の間にも御香の文化が広まっていった。

→組香には、古典の知識も必要になるため、教養を示すものとして流行したのか。同時期かは分からないが、庶民の中に広がる中で、町人や文化人が、自分たちとは違うこと示すために、古典等の知識が必要なものとして、組香というものが作り上げられて行ったのか。

→現代においては、恐らく西洋文化の流入に合わせて、香水にとってかわられたのではないか。
ただし、それも、自分のにおいを上書きするもの=穢れを祓うものとしての香りの文化が息づいているとかんがえられないか。

⇛香について、簡単にではあるが調べる中で、日本における文化の広がりを考えるテンプレートのようなものを掴むことができた気がする。
つまり、仏教とともに伝えられ、その時に権力を持った階級で、独自性を示すものとして流行し、他に真似されないように高度化、複雑化していく。そのカウンターとして削ぎ落とされ、研ぎ澄まされて、「道」として確立されていく。

▼参考

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