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【劇場版】衝撃のラストvs先の読める話!勝つのは俺だ!
おはようございます。
寒いですね。
寒いと世を儚み、未来を垣間見、ベンチで冷たくなってしまいます。
同様の例として、世には読んでると先が読めてくる話が存在します。
今日はそれを考えてみましょう。
白組、先の読める話軍
世の名作には、もう半分くらい読むと後の展開がほぼ完璧に予想できる話がかなり大分マジであります。
「アルジャーノンに花束を」とか本当に中盤入ったくらいで後の展開全部予想着きます。
で、予想着いた通りに進んでいきます。
アルジャーノンは死にます。
チャーリーも血晶石落としそうなデブになります。
流石に言いすぎた。
おにぎりを要求してきそうな絵描きになります。
しかし、先が予想できるからといって頁捲る手が止まる訳ではねェんですよね。
まぁ、アルジャーノンに関しては、キイスの筆力や、文体の変遷あってのものかも。
映画の「シザーハンズ」もそうです。
もう中盤くらいで大体展開の予想つくし、完結15分前に至って、雪はどうして降ってくるの~~~?みたいなこと言ってたオープニングを覚えていた場合、もう完全にラストシーンの想像がつきます。
そして想像した通りのオチに着地します。
マァ、この映画に関してはティム・バートンの美術関連も見所なので、ストーリーにだけ言及するのも違うかもしれない。
映画って総合芸術だからね。
ちょっと変わった例だと「セブン」なんかもそうですね。
ラストでAmazonお急ぎ便から配送されてくるダンボール箱の中身は、100人中98人くらいの観客が予想できます。
いや、これはストーリーの中で一応伏せられている部分が観客にはほぼ自明である。ということなので、予想がつく云々とは違うかもしれない。
まぁいいや。
あまり良くない例もあります。
マーベルのセントリーとかは話に絡んできた時点でオチが読めます。
最近あんまり出てこねぇな。
紅組、衝撃のラスト軍
ラスト15分、あなたは必ず騙される!というキャッチコピーあるよねェー!!!!みたいな話を良く聞くが、実際にそういうの何があるかと思い出すと、あまり思い出せない。
まぁ、小説にしろ映画にしろ、所謂「衝撃のラスト」系のストーリーは結構存在します。
ただ、この「衝撃のラスト」というのにも結構幅があり、衝撃の「種明かし」から衝撃の「超展開」までバリエーションが豊富だ。
衝撃のラストは衝撃のオチとイコールではないからね。
「シャッター・アイランド」は衝撃の種明かし系の衝撃のラストだ。諸々のミステリにそれありか?という真実を用意し、その後に更なるオチが用意される。
これはこれでありだとおもう。
言わば、衝撃の種明かし!衝撃の「転」!という具合だ。
起承転結の結はそのあとちゃんと用意されてる。
観客も衝撃の種明かしに衝撃を受けているが、主人公もまた衝撃の種明かしに衝撃を受けているからだ。
その上で、観客は彼の決断を見守ることになる和気です。
「シックスセンス」はどうだろう。もう衝撃のラストが周知され過ぎてて、衝撃のラストは知られてるのに本編の内容は知られてない節すらある。
しかし、シックスセンスはラストを知ってても楽しめる映画だと思うんだよね。
と、言うのも、シックスセンスの本質は例のオチだけではなく、母子の愛の話であり、死後の救済でもあるからだ。「ジェイコブズ・ラダー」みたいな。
シャマランが憎いのは、衝撃のラストでこの二つの話を見事に両立させたこと。
それも、それまで観客が見てきた過程を変えずに、二つの意味合いを持たせるんだから、こりゃあスゴい。
そういう意味だと「ジェイコブズ・ラダー」は、衝撃の種明かしと衝撃のオチを兼ねてる。なんだってこんな悪夢に囚われなきゃならんのか!という部分にはちゃんと解答が用意されてる…冷静に俯瞰してみるとそりゃネェヨとも言いたくなるが、見てるときは気にならない。
オチがしっくり来るからだ。
とはいえ、ヤベースゴーイのは途中の演出もだから、オチだけで評価するもんではないですよね。
逆に衝撃のオチが衝撃すぎて、余韻とか全部吹っ飛ばして行く作品もままあります。
「ミスト」とかだ。
人に「ミスト」の感想を聞くと、ほぼ衝撃のラスト15分の感想を応える。
いや計測したわけじゃないので、厳密に15分かはわかりませんが。
途中のショッピングモールとか、野蛮婆ちゃん(ヤババアチャン)などは全部記憶から飛んでる。
それぐらい衝撃のラストだ。
個人的にはショッピングモールの壁に鶏みたいなのが追突してくるシーンが好きなんですがね。
ピーター・ワッツの「ブラインド・サイト」とかもそうだよね。
厳密に言うとラストが衝撃と言うよりは、中盤で明かされる真相が衝撃過ぎて、そのあとの衝撃のラストが頭に入ってこない。
シャッター・アイランドでいえばマーク・ラファロが実は吸血鬼でディカプリオを殺しにしたみたいな展開あるけど、宇宙人襲来の辺りが衝撃すぎて頭に入ってこない。
いや実は正体が吸血鬼でこっちを殺しに来るって言うのは衝撃そのものだ。
いま書いてて思いだした。
あの吸血鬼マジで何だったんだ?
衝撃のラストっていうか、中盤に衝撃のギミックがあるものと言えば井上夢人の「メドゥサ、鏡をご覧」とかもそうでしたね。
本当に折り返し入ったくらいで衝撃のギミックをお出しして、それを活用しながらラストまで駆け込んでいく。
こっちは衝撃のラストというよりは、大掛かりな叙述装置を、そのままラストまで活用してるイメージだ。
カーペンターとかヤン・シュヴァンクマイエルみたいな、大掛かりにしてぎこちのないギミックというのは、その不気味さや不安さそれだけで受け手を引き付けられると思う。「ダークレイン」とか最たる例だよね。
もちろん塩梅は大事だけども。
同じく井上夢人の「ラバーソウル」の方が、そういう意味では議題にあってるかもしれない。
結論
この記事なにについての記事だっけ。
衝撃のラストと先の読める話でどっちが良いか見たいな感じでしたね。
どっちでもいいんじゃねぇかな。
「ターミネーター2」とか、シュワちゃんが親指たてて溶鉱炉に沈んでいく部分ネタバレされまくってますけど、でもやっぱ面白いですからね。
現義に基づき、この記事にもなんか衝撃のラストで、オチをつける必要がある気がしてきた。
どうすっかな。
実は私、この記事で名前をあげた作品のうち