平凡なランナーたちはいかにして箱根の頂点を駆け抜けたのか?「夢は箱根を駆けめぐる」
いよいよ箱根駅伝まであと3日。関東の私大に在籍していた身としてはこの時期になると、ソワソワしてしまいます。
箱根駅伝の小説といえば、「一瞬の風になれ」が有名ですが、今回ご紹介する「夢は箱根を駆けめぐる」はリアル「一瞬の風になれ」と呼べるほど、ドラマが詰まっています。神奈川大学が97・98年に箱根駅伝を連覇したときのコーチが、現在の神奈川大学監督・大後さん。箱根駅伝の前哨戦ともいえる今年の全日本駅伝を征して、箱根駅伝の優勝候補の一角として挙げられています。
神奈川大学は箱根駅伝の常勝軍団ではなく、大後監督が1990年代にコーチに就任するまでは、箱根駅伝の予選会も通らないくらい弱小校でした。こんな状態ですからスカウトも全国から才能ある選手が集まるのではなく、全国大会にも出場できない「平凡」なランナーの集まりでした。それが、1年また1年と着実に成長して、あれよあれよという間に、シードに入りわずか5、6年で優勝してしまいます。
この本は箱根駅伝の関連本としても十分に楽しむことができるのですが、中小企業の人材育成本として読んでも大いに役立てると思います。
一般的な中小企業で一番の課題はやはり「優秀な人材の採用」と思いがちです。ところが優秀な人材を採用するには、どうしても待遇面を上場企業に負けないくらいの給料を出さないと、なかなか来てくれません。それも地方が本社であるなら、なおさらです。
但し、仮に高待遇で優秀な人材を採用できたとしても、その人は会社の理念に共感したのではなく、給料に惹かれて入社しているのですから、他によい待遇の会社があれば、また移ってしまいます。
それよりも今、働いている人材に100%の力を発揮してもらうことの方がはるかに有効です。その意味では「夢は箱根を駆けめぐる」は大後さんがコーチ就任時からどのように選手の意識を変えていったかを綴っていて、企業の人材育成という側面で捉えると大変参考になります。
コーチ就任時は、箱根に本気で行きたいと思い練習する部員は皆無で、練習後の遊びに夢中な状態で練習になると、部員たちの目が死んでいて驚いたそうです。
大後さんがまずやったことは、部員一人一人と時間をとって考えを聞くこと。1ヶ月に1度、1対1で対話する時間を増やします。
入学当時はまだモチベーションはあったのですが、箱根常連校との差に愕然として、自分で限界を作ってしまい、練習も真剣にやらなくなった事がわかります。
元々がエリートランナーではなく、推薦入学できなかった全国的にも無名な選手の集まりですから、高い目標を掲げるのではなく、無理のない目標を設定して、着実に成長している実感をもたせます。
選手の走力、技術を磨くよりも、意識を変えることに専念して、長期的な視点でチーム育成を図ったのです。
コーチ就任して初年度の箱根駅伝予選会は10位で通過校とは40分の差。翌年は8位、通過校と20分の差まで詰め寄り、さらには同年のローカルの駅伝大会で優勝して結果が出てくるようになると、選手の意識も変わります。
印象的なエピソードを1つ挙げると、寮から練習場までは大後コーチの運転するバスで向かっていましたが、一人の選手が走って向かうようになると、次々にバスを降りてしまいには、
怪我をしている選手以外は乗らなくなったそう。
結果が出てくると練習が楽しくなり、一人でも抜けた存在が出てくると、追いつこうとチーム内でも競争意識が芽生えて、練習に対する意識も変わり、良いサイクルを生む。これって中小企業の人材育成にそのまま当てはまる事例だと思うのです。
・1にも2にも、スキルやノウハウを教える前に、意識を変える事に集中する。意識を変えるのに阻害する要因を見つけて、つぶしていく。
部員一人一人を管理するのではなく、見守っている意識。部員のカルテ作りから始めて、過去の故障や疲れやすいところ、体質の特徴などを記録したカードを作り一人ずつの体調管理を徹底。データを積み重ねていくと、走りのフォームの特徴が故障とどう関連しているかもわかっている。
・そうはいっても選手のやる気を引き出すのは簡単ではなく、いかに自分からやる流れを作り出せるか。それには毎日の練習が持つ意味合いを、できる限り説明する。
・練習計画はジグソーパズルのようなもの。それだけ見ても何が何だか分からない小片がたくさん集まって、一つの絵となるように毎日の細かい積み重ねが組み合わさって初めて箱根を狙うための年間計画になる。
・学生駅伝は(AX)×αの方程式。Aは一人一人の選手が持つ能力。 Xは区間。単純に考えれば、選手の走力と区間の組み合わせ。だが、αの、選手が補欠の気持ちをわかってやり、補欠が選手の気持ちをわかってやること。αをどれだけ膨らませるかが学生スポーツの真髄。αの膨らみ方のバロメータは、下積み選手たちの気持ちのきれない気持ち。
卒業した選手たちは大後さんのマネジメントをこう評します。
・くさったみかんがあると、みんなくさってしまう。だから他の学校だとすぐに切ってしまう。でも大後さんは腐る前に見てやっていますね。だから腐りそうになっても、大後さんを裏切れないと思うんです
大後さんは、走れない時ほど声をかけてくれる。悪い時ほど声をかけてくれるから、みんな信頼するんです。どう見ても箱根のレベルに達しない選手だっていますけど、それでも目標を、持たせて個人としての流れをしっかり作ってやっています。走れない人間ほど大事にするんです
特に以下のマネジメント論も、組織論そのまま
当てはまるのではないでしょうか。
・一番上のレベルに合わせた練習はしない。常に中堅から下のことを考えながら、チームの強化を進めていく。入ってきたからには全員面倒を見てやりたい
私は、ベンチャーから大手企業、外資、中小と様々な規模の会社を経験しましたが、中小企業と大手企業ではマネジメントの仕方は全く違いますし、世に出回るマネジメント、人材育成本はほとんどが大手企業で働く人向けに書かれたものです。 つまり中小企業には中小企業なりの
マネジメントをする必要があり、今いる人材の活性化が100%できれば、それだけで会社は劇的に変わるし、そんな会社が増えれば日本はもっと元気になると思います。
箱根駅伝直前ということで、この本の価格が高騰していますが、箱根駅伝に興味がある人もない人も、ぜひ読んでほしい一冊です。