泣き虫であること
心を許してない人の前で泣かないことは簡単なのだけど、心を許した人の前で泣かないことは難しい。
友人との会話で気付いたかもしれないこと。
私はよく泣く。
まぁ人前でバンバン泣く訳ではないが、人が泣かないようなところで泣くことはある。
映画を見て感動して、とかそういうのはむしろあまり無いかもしれない。
感情や心が大きく動かされた時に、おそらく涙が出る。
それは、悲しみとか辛さとかもあるけど、もっとあるのが嬉しさ、だと思う。
嬉しいという言葉では足りないくらい嬉しいと思うことがある。
多分、私の幸せのハードルは低い。
割と何でも幸せに思える。
今は特にそうなのかもしれない。
メンタルが底に着いて、ある程度落ち着いた。
一旦底を見ると、一般的な現状維持くらいの位置がとても高く感じるのかもしれない。
だからこそ余計になんでも幸せになる。
幸せだと思うと、心が揺さぶられるので涙が出る。
私の感情は昔から振り幅が大きい。
多分、子供の頃から変わらない。
子供の感情が0から100まであるとして、大人になるにつれて40から80くらいに収まるようにコントロールしているイメージがある。
子供は何に対しても本気で笑うし、本気で怒る。
大人になったら、そういうのを「わがまま」と言うのでコントロールする。
私ももちろんコントロールする部分はしているが、内部的にコントロールできているかというと多分そうではない。
振り幅が大きい分、上から下の落差が大きすぎて自分自身ついていけてない時に涙が出るのだろうと解釈している。
上から下に落ちた時はもちろん辛いけど、実は上に上がるほうがもう少し辛い。
下から上がることはそれなりに頑張れば良いし、上がっていくから楽しいけど、上から下は楽しくはない。
自分でそれをわかっているから、時に1人になったりして心を落ち着けないといけない時もある。
感情の上が高いのもなかなかに大変だ。
でも私はその感情の高まりを抑えたくはない。
楽しいことが大好きなので。
友人は、嬉し涙は生きていて数回流すか流さないかじゃないだろうかと言っていたのを聞いて、私は良くも悪くも幸せな人間なのかもしれないと思い、また涙を流す。
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