体育会系という弊害
朝もニュースで見た。
どこかの運動部の先生が体罰してて、それに反対した保護者がその先生に賛同している保護者に正座させられて子供の進学ができなくなる云々言われたって感じのニュース。細部は気にするな。
今働く会社も、入るときに言われた。
『うち体育会系みたいなところあるから』
基本的に体育会系の会社が嫌い。
なのですが、私自身子供の頃10年くらい体育会系のスポーツしてました。故に挨拶やらなんやら結構体育会系思考がないわけでもない。
ただ、昨今問題になる体育会系には苦言を呈したい。
ブラック企業という言葉が蔓延しだした頃、軍隊のような新人研修なんかもTwitterやらで賛否両論されてるのを見た。結局あれは賛否どちらの方が多かったのかな。
その中に、体育会系というワードもあったと思う。
大きな声で挨拶しなさいとかなんて私のやってたスポーツでもありましたよ。
稽古場に入るときに必ず一礼。出るときも。返事は大きな声で。先生や先輩に必ず挨拶をすること。
それはそこまで気にならなくて昨今の体育会系がなぜ気になるのか?
それは多分、それを教えてくれていた先生がその分本当に生徒のことを思っているとちゃんと伝わったから。
あとあと親に聞くと、色々お金がかかり親としては大変なこともあったらしいが、その先生は生徒が楽しむ時は楽しめるように、練習はしっかりできるように、しっかりけじめを教えてくれた。
楽しむ時間は楽しめるように常に先生自身が生徒のために色々やってくれてたからね。
でもそういうのって、ある意味そのやっていることが好きでやっているから成立するんじゃないかなと思う。
チームの先輩の言うことを聞きなさいと言い、先輩には必ずそのチームの責任を持たせていた。先輩の言うことを聞かなかった子を叱り、先輩が責任感のないときは先輩を叱る。時には連帯責任という理不尽さもあったこは否めないけど。
私が好きな演劇も、体育会系なところがある。
役者は照明や音響などのスタッフ達がいて初めて輝けるのだから、演劇の中でも役者は一番下みたいなものだよと尊敬する人が言っていた。
もちろん、それもあるし何より演劇は関わる人間全てと作り上げるもの。だから礼儀はもちろん、常に挨拶、お礼は忘れない。
これもなんだか体育会系。
でもそれはやはり納得できるから別に良い。
好きでも嫌いでも、体育会系でもなんでも、押し付けるのはどうかと思うし、その押し付けに思考停止をするなよ。
私の嫌いな体育会系はそういうこと。
頭に書いた運動部のニュースだって、結局は思考停止してしまった親御さんがやらかしてる。
先生は素晴らしい!この先生に教えていだけるのなら子供が多少殴られたって平気!だって素晴らしい先生だもの!この先生を批判するなんて何もわかってないのね!チームなのに!ひどい人だわ!
そういう思考停止はしちゃダメだし、そういう思考停止した人間に流されるのもダメだ。
自分を持つこと。それがそういうものから身を守れる防御だと思う。
日本人は協調性があるから、自分が持てないとそういう思考に流される。
協調性とはなんて便利な言葉だろうか。
協調性がある人と聞くと何だか良い人そうだと思う。協調性がないと聞くとちょっとめんどくさそうと思う。
本質がどうなのかはわからないのに。
昨今の体育会系で嫌いなのは、上の人間が黒を白と言ったからこの黒は白なんだ!という思考。
本当にその黒を見たのか?本当に白だったのか?
自分の目で見よう。ちゃんと確かめよう。本当に黒なのか。そして先輩が間違えてるならそれをやんわり伝えて差し上げればいい。
まぁその先輩がやんわりだろうがバリバリだろうが私の嫌いな体育会系ならぶちギレるだろうけど。
そこに執着する必要性があるのか。そのときはまた考えたらいい。思考すればいい。
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