見守ること。
また、迷惑をかける。
「大丈夫」『大丈夫じゃないでしょ』「大丈夫」『大丈夫じゃない。何かあるならちゃんと言って』の押し問答。
結局最後は私が「大丈夫じゃない!一緒に居たい!」と怒る。
『それは自分で落ち着けないとダメだよ、自分で治すから、自信がつくんだよ、頑張らないと』
そうやって結局、あー迷惑かけたなーとか罪悪感とか悲しさとか自分への怒りとかでぐちゃぐちゃになる。
そんな日は大体眠れない。
眠れても、結局早く起きちゃって、ずーっと思考が止まらない。
「なんであんなこと言っちゃったんだろう。」
「なんであんな態度取っちゃったんだろう。」
「なんであんな甘えちゃったんだろう。」
「甘えると頼るの違いなんてわかんないよ。」
「自分で頑張るしかないなんて、わかってるよ。」
「なんで頑張れないんだろう。」
そうやってひたすら自分に問いかけ続ける。
「なんで大丈夫じゃないって言っちゃうんだろう。」
大丈夫じゃないけど、大丈夫って言っちゃうんだ。
なんでだろう。
それは、大丈夫で無いといけないから。
大切な人が遠くに引っ越して、頻繁に会えなくなるから、それで大丈夫じゃないと困るから。
私も大切な人も困るから、大丈夫って強がる。
でもそれを察して、大切な人は「大丈夫じゃないでしょ」って言う。
「自分一人で大丈夫になるために頑張らないと」って言う。
でもね、私も頑張ってるよ。
頑張って強がってる。
強がって「大丈夫」って言ってる。
それなのに大切な人は、気持ちを察して「大丈夫じゃないよ」って私の本心を思い出させる。
『そんなの知ってるよ!大丈夫じゃないよ!そりゃ大丈夫なわけないじゃん!そんなのわかってる!ほんとは離れたくないし、引っ越しだってして欲しくない。でもそれは、大人の都合っていうめんどくさいやつで、子供なら理解できないかもしれないけど、私は心は子供かもしれないけど、それくらいは理解してる。本当は精一杯強がって『別に引っ越したってまた会えますよ!』って笑顔で送り出したかったよ。気持ち良く送り出したかったよ。でも結局私のメンタルが崩れて、それはできなかった。達成できなかった。それでも、精一杯強がれるだけ強がって、そうやってなんとかしようとしてるんだよ」
きっとそういうことなんだろう。
「大丈夫」って言葉は大丈夫じゃないけど、それでも頑張るよって意味なんだよ。
もちろん、それを今まで私自身もわかってなかったから、説明してないし、大切な人がわからなくて当然なんだよね。
だから、それを今日、伝えようと思う。
大切な人はきっと間違ってたら、それは間違ってるよって教えてくれる。
そしたらまたもう一回最初に戻って、考え直せば良い。
信じてるから、伝えられる。
そうやって、本当の強さを身につけるのかもしれない。
時には、大丈夫じゃなさそうでも、見守ることって大切だと私は思う。