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エゴイスト を好き勝手に振り返る
エゴイスト
——自己中心的な人、利己主義者を指す英語”egoist”をカタカナ読みした言葉
タイトルが誰のことを指すのか分からないまま物語は始まる。
徐々にそれが誰を指しているのかは見えてくるが、エンドロールの頭に浮かび上がる「エゴイスト」という文字を見た時、考え込んでしまうはずだ。
果たして彼は、エゴイストだったか?
エゴイストとは、彼のような人間のことを指した言葉か?
「エゴイスト」という言葉の持つ意味を根底から疑って、そして捉え直してこそ、この作品は生きてくる。
亡き母への思慕と故郷への嫌悪を胸に、命ひしめく都会に紛れて生きる浩輔(鈴木亮平)。
病弱な母のため、自らの身体を擦り減らしながらその日を暮らす龍太(宮沢氷魚)。
浩輔が龍太に惹かれ、龍太が浩輔を受け入れるまでに、時間はかからなかった。
やや強引とも言える手段で龍太を手に入れる浩輔だが、そこには間違いなく愛がある。
浩輔は、龍太を愛すると同時に、彼の母親(阿川佐和子)までも大切にした。
多感な少年期に母を失った浩輔にとって、特別に慈しむべき存在になったとも言える。
浩輔と龍太の、静謐で優しい時間は、ある朝突然終わりを迎えた。
浩輔は、それまで龍太に行っていた支援を、彼の母にするようになった。
彼女が入院して、病床から動くことができなくなっても、ずっと。
浩輔は亡き母の面影を、龍太の母に重ねていたのか。
はたまた、目の前からいなくなった龍太への消えない愛を、その母に与えていたのか。
病室で彼女が浩輔の手を握るラストシーン。
「帰らないで、もう少し傍にいてちょうだい」と頼む老母と、「はい」と答えて笑いかける浩輔。
そして暗転、「エゴイスト」の文字である。
浩輔の行いに、誰かを不快にさせたり、独りよがりだと感じさせたりするような要素は、無い。少なくとも私は、そう感じた。
自己中心的であるといえば、そうなのかもしれない。しかし、浩輔の「エゴ」は、ひと 組の親子の心と暮らしを確実に満たしていた。親子は、その「エゴ」を必要としていたのである。
人は誰しも、それぞれに異なるものを持ち、異なるものを持ち合わせない。
小さくささやかでも、その凹凸がぴったり嵌まった時、そこには愛が生まれる。
私なら、この作品のタイトルは以下のように訳す。
エゴイスト
——見返りを求めず、自分の都合のままに愛を与える人。また、その愛で心身及び生活を満たす人のこと。
この意味で彼らは、完全なエゴイズムを貫いた、究極のエゴイストである。