#1 我が家の真実告知(特別養子縁組)
特別養子縁組で結ばれた息子は現在小学生。
これからシリーズでお伝えするストーリーは息子が幼稚園に入園する直前〜年長さんまで続いた、我が家の真実告知の出来事をまとめたものになります。
真実告知は子供の成長度合いや言葉の理解度などによっても異なるし、この年齢で告知するのがベスト、というものがないから本当に悩ましいけれど、基本的には小学校に入るまでにするのが望ましいとされています。
100人の養子がいたら100通りの伝え方があると思いますが、我が家の真実告知が少しでも何かの参考になったらいいなと思いながら、何記事かに分けて綴りたいと思います。
プロローグ~犬たちがどこから来たのか気になり出す(3歳2ヶ月)
胎内記憶を語り出した頃、思えば犬たちとの出会いについて聞いて来たのが最初の始まりだったように思います。
「B(愛犬3号)はどこから来たの?」
Bは保護施設ってところから来たんだよ。
「じゃぁR(愛犬1号)は?」
Rは赤ちゃんの時にブリーダーさんから譲ってもらったんだよ。
「Hちゃん(愛犬2号)は?」
Hちゃんもブリーダーさんから譲ってもらったよ♪子犬だったHちゃんを写真で見て会ってみたくなってパパと見に行って、そのまま家族になったんだ、というところで話が終わったのですが、あの頃の息子は大人とも普通に会話出来るまでに達しており、難しい言葉も良く理解していました。
私はそれまで過去に参加したシンポジウム(※)での先輩方の話を聞いて来て、息子への真実告知は5歳くらいからでいいのかな…なんて漠然と考えていたのですが、息子との会話から真実告知は子供の成長具合や理解度、性格や性別によっても違うのかもしれないと思うようになりました。
何より息子は3歳の時点で胎内記憶も持っていて、尚且つ犬たちがどこから来たのか?という疑問まで抱き始めていたからです。
そろそろいいんじゃないだろうか?
そして養親仲間に相談に乗ってもらったりしながら、やっぱり入園前に話そう!と夫と話し合って決めました。
告知するなら夫婦が揃うタイミングでお正月休みがいいんじゃないか?とか、何かいいDVDや本はないか?などとアレコレ考えて、参考になるかわからないけどディズニーの「ダンボ」を借りて観たり、赤ちゃんの頃からのアルバムをさりげなく一緒に見たりしながら、その年のお正月休みはずっとソワソワしていました。
そもそも、これって私たちから切り出してもいいものなんだろうか?
最初に待機登録していた団体の代表は、「必ず子供の方からサインが送られて来るから、その時にごまかさずにちゃんと伝えて下さい。」と言っていたけれど、それってどうゆう感じなんだろう?というか、それ以前に本当にみんながみんなサインなんて送ってくれるんだろうか?
想像すら出来ない未知の領域でしたが、私たちが切り出すまでもなく、”その時”は突然やって来ました。
どこから来たの?(3歳2ヶ月)
犬たちのことを聞いてきた数日後、朝ご飯を作っていたらカウンターの後ろでいたずらお手伝いしていた息子が急に振り返ってこう言いました。
「ママはどこから来たの?」
まさか!と、ドキドキしながらも平静を装い、ママはMちゃん(私の母)から生まれたんだよ、と答えました。
「じゃぁ、〇〇ちゃん(息子)は?」
心の中はΣ(゚Д゚;≡;゚д゚)Σヽ(`д´;)ノだったけれど平静を装い、息子くんはAさんっていう生んでくれた人がいて、そこからMさん(養子縁組団体の代表)がパパとママのところに連れて来てくれたということを明るく答えたら、
「へぇーーー(*゜Q゜*)!何で?」
と聞くので、ママのお腹が痛い痛いで赤ちゃんがお腹の中に来てくれなかったんだということを説明しました。そして、
「お腹、切れちゃったの?」
と質問されたので、切れてはいないんだけど、赤ちゃんが出来なかったこと、そしたらMさんが宝物さんが生まれましたよって、赤ちゃんだった息子くんを連れて来てくれたんだということを伝えた後、息子くんは覚えてる?と聞いてみると、
「んー。覚えてる。恥ずかしかったんだよ。」
という言葉が返って来て、泣きそうにながらも何とか笑顔で乗り切りました。
事前にシンポジウムで情報を得たり、先輩方や同期のお友達に相談していたので心の準備が出来ていたこともあり、最初の告知としてはまずまずの出だしが踏めたのではないかなと思ってます。
どこから来たの?再び(3歳4ヶ月)
一度や二度では終わらない真実告知。
息子もことあるごとに聞いて来ます。
いつも養子縁組仲間たちと遊んだ後に聞いて来ることがほとんどで、その日も数日前にみんなで遊んだばかりでした。
私の膝に座っていた息子くんと何気ない話をしていた朝、
「Hちゃんはどこから来たの?」「Rは?」「Bは?」
出だしは必ず犬たちから始まるので、HちゃんはHちゃんの、RはRの、BはBのお母さんのお尻から出て来たんだと、毎回同じ答えを繰り返します。
「じゃぁママは?」
ママはMちゃんのお尻から出て来たんだよ。
「パパは?」
パパはパパのお母さん、ばーばのお尻から出て来たんだよ。
「でもー・・・お尻はウンチが入ってて汚いよ。」
ウンチの通らない綺麗なお尻もあるんだよ。最初はお腹の中にいて、綺麗な方のお尻から出て来るんだよ。
「えー、お腹は食べ物が入ってるでしょ?」
お腹の中には食べ物の入ってない場所もあるんだよ。
そんな会話の後、そろそろ来るかな~と思ったら案の定、
「じゃぁ〇〇ちゃん(息子)は?」
と続きます。
いつも最後に自分のことを聞いて来るのですが、息子くんはAさんっていう生んでくれた人(※もう1人のお母さんやママという表現はこの年齢だと混乱するかもしれないので使いませんでした)がいて、その人のお尻から出て来たんだよ、と伝えると、
「えーー・・・ママのお尻から出て来たんでしょ?」
やはり、まだここが理解できないようです。
違うよ、ママのお腹は壊れてたって前にも話したじゃない?それで赤ちゃんが出来なくてMさんが息子くんを連れて来てくれたんだよ、と伝えました。
そして続けて、息子くんと出会えて本当に幸せだということ、ママとパパの宝物だということ、息子くんのことが大好きで大好きでしょうがないんだということを伝え、お膝に座っていた息子の頭に顔をうずめながら、後ろからギュッと抱きしめたら、
「ママー、ちょっと〇〇ちゃん苦しいんですけどー♪」
って、嬉しそうに恥ずかしそうに笑いながら答えてくれたけど、あの時の君はどんな顔をしていたのかな。
映画「ダンボ」と犬たちの存在
参考になるかわからなかったけど、息子にディズニー映画のダンボを観せたことは良かったなと思っています。
鳥さんが赤ちゃんをママのところに連れて来てくれたね♪などと声がけしながら一緒に観たのですが、この映画がきっかけとなって犬たちはどこから来たんだろう?という疑問が生まれ、そこから更にパパやママ、自分は?という疑問に繋がって自然な流れで告知に続いてくれたのかなと思います。
息子が来た時から我が家には犬たちがいて、毛むくじゃらの兄弟のような彼らの存在に沢山助けられて来ましたが、まさか告知の場面でも助けられるとは思いませんでした。
今、犬たちは一頭を残してみんなお空に旅立ってしまったけれど、小さな命を通じて沢山のことを息子に教えてくれた彼らには感謝の気持ちでいっぱいです。
言葉を話せない相手の気持ちを汲んで思いやる気持ちが自然と芽生えたこと、出先で帰りたくないとごねても犬たちが待ってるからと言えばすんなり帰ることができたりと、大変なこともあったけれど、それ以上にいいことづくめでした。
中でもHちゃんは赤ちゃんの頃から息子に寄り添ってくれて、常に隣で温もりを与えてくれました。
「一人っ子っぽくないね。」「上にお兄ちゃんがいそう。」と、幼稚園の頃は度々言われたことがあるのですが、もしかしたら犬のお兄ちゃんたちがいたからかもしれません。
彼らの生きた証は息子の中にスピリットとして宿り、いつか彼の子供たちにも受け継がれて永遠に繋がって行くのかな。
今はそんなことを感じています。