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精子提供サイトに問い合わせた思い出

この出来事は無精子症を告げられた2010年から紆余曲折を経て特別養子縁組で息子と出会うまで、もうこれ以上ないと言う勢いで駆け抜けた3年9ヶ月の間に起こった出来事のうちの1つです。

試せることは全部試したい、という貪欲なまでの気持ちから起きたことでした。

その他の経験も記事にまとめたいと思っていますが、ちょうどタイムリーなニュースが飛び込んで来たので、個人運営の精子提供サイトに問い合わせた経験とともに、そこから自分なりに気付いたこと、学んだことを綴ってみようと思います。

夫の無精子症が発覚

産婦人科の門を叩いたのは2010年、東日本大震災が起きる1年程前のことでした。

新居に引っ越したてホヤホヤ、新しい生活の始まりにワクワクとドキドキでいっぱいだった私たちに告げられた、医師からの厳しい現実。

「なんで私たちなの?宝くじだって当たったことないのに!」

朝採れの新鮮なブツを入れた容器を夫から託され、冷やさないよう胸元に入れてハンドルを握り、安全運転を心がけながら大切に病院まで運んだのは何だったのか。

人肌に温める必要なんてなかったじゃん!などと、頭の中で容器を投げ捨てるシーンを思い描きながら、ぼんやりと自虐的なことを考えていました。

私も、そして勤務中に電話で結果を知らされた夫も案外冷静だったのは、「まさか自分たちが?」と、信じられない気持ちの方が大きかったからかもしれません。

これは現実なんだろうか?

夢見心地でふわふわとした感覚に包まれる中、どんな気持ちで家まで帰って来たのかも覚えていないけれど、年齢の壁もあったから悲しみに浸ってる時間なんてなかった。

その日から、”どうしたら子供を持つことが出来るのか”をミッションに掲げ、それに向かって全集中する日々が始まるのだけれど、まさかこんなにも長いこと模索し続けることになるとは思いもしませんでした。

何軒もの病院ハシゴ、特別養子縁組の説明会、申し込み、面接、登録、退会、児童相談所への相談、一度限りのAID(非配偶者間の人工授精)、果ては占いや神頼みまで・・・唯一やらなかったのはMD-TESE※くらいだろうか。

※MD-TESEとは、非閉塞性無精子症に対して1999年 Schlegelらが発表した、手術用顕微鏡を用いた精細管組織採取方法です。 麻酔時間を含めて2時間~2時間半をかけて、精巣を完全に陰嚢外へ出し、手術用顕微鏡を使用して行います。

( 引用:http://www.keio-urology.jp/treatment/infertility.html

◯◯精子バンク▲▲と名乗る、個人運営の精子提供サイトと出会ったのは2013年のことでした。

今となっては何故ホームページに辿り着けたのかは思い出せないけれど、おそらくネットサーフィンで養子とかAIDについて調べている最中に偶然ヒットしたのだと思います。

飾り気もセンスもない文章だらけのホームページのプロフィール欄には国立大学卒であること、現役の医師であること、既婚で子持ちであることなどが、個人を特定されない範囲に綴られていました。

そのホームページを一通り読み終わった後、

"無償って本当なのかな。この人には何のメリットもないだろうに、何故こんなことしてるんだろう?"

などと思ったものの、ちょうどその頃の私たちは諸々やり尽くし、頑張りたいけど何をどう頑張ればいいかわからずに頭を抱えていた時期でもありました。

不信感もあったけれど、冷凍精子を使用して病院で治療をするよりも、新鮮な精子でそれが出来れば妊娠率も上がるかもしれない…という気持ちも正直ありました。

やれることは全部試してみたい。

問い合わせるだけなら何の問題もないだろうと、私は思い切ってメールを送ってみることにしました。

◯◯精子バンク▲▲からの返事

すぐにメールの返信が届いたのですが、賢さの中に親しみやすさも伺えるような、人間味溢れる言葉が丁寧に綴られていました。

この人なら信頼できるかもしれないと感じ、その日から4ヶ月にも及ぶメールのやりとりが始まったのでした。

活動内容はホームページの通りで経歴に嘘はないこと、金銭のやり取りは一切ないこと、そして、場合によっては子供が20歳以上になった際の面会も可能であることなども説明されました。

流れとしては事前に産婦人科で卵胞の育ち具合をチェックし、排卵日の予想をしてもらってから会う段取りで、場所は駅近くのビジネスホテルや、場合によっては車の中で施術することも可能と言うことでした。

医師免許を持っているので医療行為(人工受精)は特に問題なく、通常の医療機関と全く同じ内容で投薬・施術を実施できることなどが綴られてありました。

また、当日は医師免許を見せていただけると言うことや、学歴の証明は出来ません、と言うことなども説明されました。

本名や個人情報はお互いに開示し合わない等、その他諸々が記載された誓約書も添付されていました。

ちなみに学歴の証明が出来ない理由ですが、有名大学の卒業証書は今やネットで買える時代でもあり、友人同士で融通し合ってもわからないため、実際問題どんな卒業証書を持って来てもあまり信頼性は高くないからだそうです。

ただし、医師だと偽ることは犯罪になるので、(名前を隠した状態で)医師免許を見せることで納得していただきたい、と言うことでした。

また、非配偶者の精子を使っての人工授精(AID)は割高で妊娠率が非常に低いことなど、不妊治療に関する知識もあり、1つ1つの質問にも丁寧に向き合ってくれて、何度もメールのやり取りをするうちに、すっかり信用してしまっている自分がいました。

会う直前まで話は進んでいたけれど・・・

メールで人柄が伺えて、この人ならと思ったけれど、やはり見ず知らずの人と会うのは不安で、そのことがどうしても引っ掛かっていました。

そこで私は当日、誰かに一緒に付き添ってもらって近くで待機していてもらおうと思いつき、学生時代の友人にお願いすることにしました。

10代20代を共に遊び倒して来た彼女とは毎週のようにコンパだ何だと、繁華街で夜な夜な朝まで遊び回っていた仲。

お互いの家にもしょっちゅう泊まり合って、会えない日には電話で下らない話で大笑いしたり、彼女が学校を退学しても、その友情は続いていました。

金髪に染めて肌を真っ黒に焼き、やんちゃで破天荒だった彼女も、その頃には結婚して一児の母になっていたけれど、彼女のことだからきっと応援してくれるだろうし付き添ってくれると信じて疑いませんでしたが、予想に反して応援されるどころか怒られる始末。

「危ないからやめときなっ!そんなの絶対信用できないって。」

二つ返事で「面白そう」なんて言いながらノリノリで付き合ってくれると思ったのに拍子抜けでした。

諦め切れない私は◯◯精子バンク▲▲から来たメールを読めば心変わりしてくれるのではないかと思い、今までのメールを全部転送して説得を試んだ結果、

「確かにちゃんとしてそうな人だね。」

と、付き添うことを一旦はOKしてくれたのですが、数日経って一変。

やっぱり怪しいし危ない、万が一病気とか持ってたらどうするのか、旦那さんに内緒なのは良くない等、コンコンと説得し返され、あの遊び人だった友人がここまで言うなんて、もしかしたら自分のしようとしていることは間違っているのだろうか?と言う疑問が浮かぶと同時に、徐々に目が覚めて行くような感覚をハッキリと意識したのでした。

今考えると本当に身勝手だけど、友人に相談するまで夫には2回目のAIDを受けに行くとでも言っておけばいいと思っていました。

何てことをしようとしていたんだろう・・・私は友人のお陰で自分の考えが間違っていることに気付くことが出来ました。

2人で話し合って決めたことであれば良かったのかもしれませんが、あのまま冷静になれずに1人で突っ走っていたら夫に一生嘘をついて生きて行かなければならなくなるところでした。

そして、いずれその嘘が発覚した時に夫を始め、生まれていたかもしれない子供を深く傷つける結果になっていたと思うと、とても恐ろしいです。

家族ってやっぱり信頼の上で成り立っているものだと思うから、そうなったらもう私は夫からも子供からも信用されず、家庭は崩壊していたかもしれません。

嘘が発覚しなかったとしても隠し事をしたまま一生を終えるなんて苦し過ぎます。

相手を裏切り、傷つける嘘の上で成り立つ幸せなんてないこと位、普段なら当たり前のようにわかっていたはずなのに。

そんなこともわからなくなってしまう位、身勝手で軽率なことをしようとしていたのだと気付き、我に返ることが出来て本当に良かっと胸を撫で下ろしました。

1人で突っ走りやすい性格だった自分が気づいたこと

人を頼ることに慣れていない人って普段から困っても悩んでも、「自分で何とか解決しなきゃいけない」と思いがちです。

だからこの時も、特別養子縁組が叶わないなら何とかして自分で産むしか方法はないし、自分で解決しなければ!と言う思いで頭が一杯になってしまったゆえの行動でした。

ですが、そんな中で友人に相談してみようと思い至ったことは幸いでした。

相談、というよりも自分の中では決定事項だったことに付き添って欲しい、と言うお願いから始まったことなんだけれど、たくさんの友人の中から何でもハッキリ言ってくれる彼女に打ち明けたのは良かったと思っています。

普段の私は人に嘘をつくなんて出来ない性格なのに、追い詰められると冷静ではいられなくなるし、視野が狭くなって当たり前のことにも気付けなくなるし、自分は今、冷静じゃないんだと言う自覚すら持てなくなってしまうどころか、嘘をついてでも成し遂げようとする大胆で身勝手な側面を持ち合わせているのだと言うことを、この一件で思い知らされました。

仕事においてもそうですが、問題を目の前にして行き詰まった時、それを隠して自分1人で何とかしようと思うのはとってもリスキーです。

自分を信じて1人で突き進むことも大事ですが、自分の考えは正しいのだろうか?自分の選択や行動で周囲に迷惑をかけたり、傷つけたりすることはないだろうか?自分自身を危険に晒してないだろうか?などと考えてみたり、疑ってみることも大事なのだな、と言うことを改めて学びました。

行き詰まった時ほど思い詰め、当たり前のことにも気付けなくなってしまう傾向がある自分の性格を理解し、一呼吸置いて考えることを意識して生きて行こうと心に刻みました。

ちなみに息子は人に甘えたり頼ったり、一緒にやろう!と周りを巻き込むのが上手な愛されキャラです。

生きて行くのに大事だよってモノをたくさん持っている息子という先生と出会えたことは奇跡なのかもしれません。

1人で思い詰めたり抱え込まないで、行き詰まった時は周囲に相談してもいいし頼ってもいい。そのことを日常でも忘れないよう意識させてくれているのが息子の存在なのかもしれません。


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