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人生の転換点 意識探究への道①

ご覧いただきありがとうございます。

人生の転換点って皆さんにはあるでしょうか?そんなものなかったよと言われる方もいるかも知れませんが、自分にはありました。それもものすごく分かりやすいのが。そこから今まで続く長い意識探究の旅が始まったと言っても良いかもしれません。今回はその出来事についてのお話です。

パレスチナでの仕事と休暇

その当時、私はイスラエルのテルアビブというところに住んで、パレスチナという国で廃棄物管理の仕事をしていました。毎日通勤が往復で3時間かかったりということや、イスラエルとパレスチナの間の諍いを見たりすることはありましたが、淡々と仕事をする日々でした。

その仕事の合間の時間に休暇を取って、ヨーロッパの山に登りに行ったんですね。中東からヨーロッパというのは、日本からフィリピンに行くぐらいの簡単に行ける距離にあります。

最初に行ったのはスイスのマッターホルンでしたが、ガイド登山ですらまだ始まっていないプレシーズンでした。頑張って登っていったものの、とても山頂に行けるようなペースではなく、途中で断念して登るのにかけた倍の時間かけて懸垂下降を何度もしながらなんとか降りてきました。

予想だにしなかった出来事

そのまま横滑りする形で行ったのがフランスのモンブランでした。ガイドブックにあった時間を読み違えていて、2時間で行けると思って昼頃に登り始めたのが、実は4時間かかることに気付いて結構必死で登っていきました。

岩肌の地面が終わって雪の斜面が出てきたところでアイゼンとピッケルを装備し、上に見えているグーテ小屋に向かって足跡が付いているところに沿って雪の斜面を登っていったのですが、途中で窪んでいる箇所があり、少しそこで止まっていたところ・・・。

突然雪の斜面を石が転がり落ちてきました。というか気づいた時には石が自分の頭にぶつかっていたんです。あまりに突然だったので、どんな石だったかも大きさも全く分からなかったんですが、血が出ている頭を見て、止血しないとと思ったことはよく覚えています。

タイミングよく、上からちょうど降りてきていた人たちにレスキューを呼んでもらい、駆け付けたヘリに吊り下げられて回収されました(自分の感覚では数分程度と思っていたのですが1時間ほど経っていたようです)。

降ろされた所では処置ができないので、救急車で1時間かかる病院に運ぶと言われたのは覚えているんですが、その後目覚めた時は大きな病院のベッドの上でした。頭蓋骨は陥没していて、頭を横に開いて砕けた骨を取り除く手術が行われたのでした。

幸運なことに?特に異常はなく、入院して3日後には歩くことができ、1週間後には普通に歩いて迎えのタクシーに乗り込み、アムステルダム経由で日本に帰ってきたのでした。

一か月の入院そして・・・

日本に帰国してすぐ、地元の脳神経外科に入院することになりました。状態は、頭蓋骨陥没と左脳の前頭葉のかなりの部分が脳挫傷であるということで、言語能力を確認したり色々ありましたが、基本的に身体能力も含め以前とほとんど変わるところはなく、日本の医師からは奇跡と言われました

一方、なくなった頭蓋骨の部分は何かで埋めて修復する必要があったんですが、損傷に伴って体の中、主に副鼻腔に溜まった脳髄液が排出されないと、穴をふさぐことはできないということで、様子見をしなければならないことに。

手術の目途が立たない状態では再度パレスチナに派遣することはできないということになり、そのままクビになるということになりました。自分は手術は現地に戻ってやればいいぐらいに思っていたのですが、残念ながらそれは叶いませんでした。

退院後にやってきたのは・・・

何とかやることがない1か月の入院を経て退院したものの、全く何もやることがなくなってしまったために、どうしていいか分からない時期がしばらくありました。

理由のない不安感が襲ってきて、意味もなく図書館に通って本を読んだりしていました。それまで色々な国に行って様々な経験をしてきていたので、何もしない時間というのに耐えられなかったのです。

別段ワークアルホリックというわけでもなかったのですが、とにかく何もしないことへの不安や罪悪感?が強く出ていたのを覚えています。

その後、事故前とはやることも出会う人達も大きく変わっていくことになるんですが、この時の自分はただ不安でどうしていいか分からない、そんな状態だったのです。

つづく

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