思い出のシェアと喜びの拡散と - SNS雑感 -
ここ最近、Facebookを辞める人が周りで増えてきた。
その一方で、個人的見解としては、情報の拡散性と刺さる深さはツイッターやinstagramよりもやはりFBなのかなと思う。
同時に、インスタは影響力があるように見えて、反響の数(ハートの数?)が多くても、それが相手に心底伝わった感が逆に薄いっていう矛盾も感じるようになった。画像メインだからかな。
それを逆手にとるというか、ライトな日常を切り取って紹介するのにはインスタが向いているし、楽しんで取り組めるし、単純に写真の加工が面白い。だから、アプリケーションとしての愉しさがあるし、アカウントを削除しようとは思わない。
そんなことを考えていたら、ちょうど昨日友人とSNSの重さについてが話題になり、ふむふむと頷いた。
特に、投稿に対してひとつひとつ丁寧に受け止めるタイプの人は、発信も受信もしんどいことがあるんだなっていうことがよくわかったし、私は鈍感なのでそういうことに気づけてないことも多いということがよくわかった(反省)。
そういう人はSNSでも現実の生活でも本当に優しくて嘘がない、心底素敵な人たちなのだ。
SNSの世界で強い圧に押しつぶされてしまうのなら、きっとそこから離れた方が純度の高い幸せを感じられるんじゃないかな、なんて、思う。
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唐突かもしれないけれど(といっても私の中では一貫性があるので書くのですが)、私が母親に教えてもらって特に感謝していることがあって。
「人や事柄に過大な期待をしないこと。」
「家族でさえ、自分と全く同じ考えの人間はいないことをよく認識すること。」
なんだか冷たいように感じる人もいるかもしれないけれど、元来母は人と会話をするのが苦手で、自分の意見を通そうとすることがないので、返って説得力があった。
そう。だから。
「暗黙の了解」なんてないし、無意識に自分のルールだけで多くの人と関わってしまうと、相手を傷つけたり自分も傷ついたりする。
こうして欲しかった、ああなるはずだった、があると辛い。
だからこそ、ちょっとしたことにも感謝をしたり、相手との違いを考えて冷静に周りを見られるようになれという教えなのだけれど、私自身それが出来ているかどうか(きっと出来ていない)・・・でも、時々ふと思い出して軌道修正するスイッチを押してくれる言葉だ。
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さて、話を戻して。
ネットリテラシーへの考え方も人それぞれ。
自分はいいけど相手はそうじゃないっていうことが頭をよぎりなからも、一つ一つ確認することを「更新のスピード感に乗れない」とかなんとか理由をつけて等閑なまま、うやむやなまま、にしているなという自戒を込めて、私がSNSに書く時のゆるっとしたルールはこうっていうのを書いてみる。
1)本人家族子供含めて写真の顔出しOK、なので、誰かが私の写真を常識の範囲内でSNSにアップしていても特に嫌な気持ちはしないし、楽しい時間を分かち合えた仲間として映らせてもらえて嬉しい(ステキに撮ってね、笑)。
2)私自身、友人で集まった時にみんなが楽しそうに写っている写真を撮るのが大好きで、写真を即座にSNSにアップしたい気持ちがありつつ、こういうの載せたら困る人がいるかな、と、ぐずぐずすること多々。なので、参加者の誰かがアップしたのを確認してからアップしたりしている(ずるいです、すみません)。
3)「タグ付け」について、パーソナルな思い出を語るには有用性がないと思っているので、私も好んではしないし、相手にも控えてもらいたいと思っているけれど、今までそれを明言したことはない。仕事告知とかについては関わっている人をタグ付けして投稿すると、相手にも告知したことが同時にわかるので便利だと思って活用している。
4)親バカなので子供の活躍が嬉しくて、SNSに書いてしまうことも。単なる親バカなんですああほんとすみません。
5)4)にも繋がることですが、嬉しいことを書いて誰かにも祝福してほしい欲が高まってしまう瞬間があって、書いてしまうことがあるけれど、あとで「これは自慢だったな」と後悔して削除することもしばしば。
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で、実は今日ものすごく嬉しいことがあって、即座にツイッターでつぶやきかけたのだけれど、ぐっと飲み込んだ。飲み込めてよかった。きっとこれを書いたことで、ちょっと嫌な思いをする人もいそうな予感がしたから。
( − 何があったか知りたい人は個人的にお尋ねくださいね − )
さいごに。私はまだまだSNS各種を仕事にプライベートに活用しようと思っている。今のところ。
(おわり)