見えないものを見る練習
といっても超能力とか念力とかの話ではありません。
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私が好きな服のブランド、yohaku。
店を立ち上げる前、商品ラインナップに悩みながら展示会に出かけた時にyohakuと出会った。
yohakuはただデザインが良いとか、今流行りのメイドインジャパンのものづくりだとか、生地が上質だとか、もちろんそういうことも大事なのだけど、それだけじゃない奥行きといい意味でのオタク感があって、共感するポイントが多数あった。惚れた。
yohakuの服づくりについての姿勢の特徴は5つあると思っていて(あくまでも私的解釈)、
1)一貫した国内生産。顔の見える間柄の中で製造を行う。
2)伝統的な日本のものづくりを尊重し、踏襲した上で、和物への回顧ではなく(時に実験的であったり前衛的でありながらも)新しい定番を提案する。
3)工場で眠っている残反を再生し、流行にとらわれないベーシックな服をつくる。
4)ちょっと考えて買える価格帯である。
5)作られたものひとつひとつに理由とストーリーがあって、yohakuに関わる人たち全員で共有できている。
そんな5つの特徴がどれも私が店をする上での考えにフィットしていた。
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少し話がそれるのだが、タイトルの「見えないものを見る練習」とは、実は宅配業者の過労問題がニュースになった時に浮かんだ言葉だ。
無茶振りな翌日配送とか、時間帯指定をしたのにうっかり不在にしてしまってもボタン一つで再配達依頼をしてしまう(してしまえた)世間の風潮、そしてそれを「可能」としてサービスを提供し続けてしまった企業。その向こう側への想像力が欠けていたことに自身も反省したのだ。
時同じくして、yohakuのインスタグラムに上がっていた言葉が私の中でリンクした。
(綿の写真・・・?ですがクリックするとテキストが読めます)
代表の渡辺さんは生地オタク(自称?他称?)で、生地のこととなると話が尽きない。インスタグラムの投稿も、写真がメインなのに文章がむっちゃ長い。でも、すごく面白いし、いろいろな気付きがあって大好きだ。
「服を縫う時、縫い代があります。表には出てきません。なんか作るってそういうことなのでは。」(yohakuさんの投稿より引用)
そう、そういうことなんだよな。
服をつくるときの向こう側がきっとある。
服だけじゃなくて、文具だって雑貨だってサービスだって生活だっていろんな向こう側がある。
どちらかというとそういうことって、日本の美意識としては今まで見せないで来たんだろうし、見せない美しさもある。でも、私は向こう側をしっかりと見据えたり伝えたりすることで生まれる誠実な循環や、思いやりや、新しい視点というものをもっともっと、発信したいし、得たいなって。
yohakuに惹かれる理由は、そんなところかも、しれない。
今回も、わかりにくい文章におつきあい頂きありがとうございました。
いつものらりくらりと書きますが、誰かの心に引っかかったら、嬉しいです。
(おわり)
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yohaku in Kyoto - 春と夏のヨハクに -
会場:ムスビメ(京都市上京区)
2017年6月21日(水)- 7月1日(土) 会期中6/26(月)・27(火)は休業
最終日のみ17時閉店