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昔、結婚して幸せになりたかった話

はい。こんにちは。nasuです。
今はすっかり良い歳になっちゃいましたけど、
昔はちゃんと、お姉さんでした。

nasuにも可愛らしい女の子の時代があった訳なのです。
今日はそんなnasuの誰も興味無いような、
nasuの結婚したら幸せになりたいと思っていた頃の話。

今思えば、若かりし20代のnasuは結婚に憧れていたんでしょう。
小学校、中学校といじめに遭い、再婚同士だった両親の家に居場所はなく、自傷を繰り返していました。
17歳の時からは養父が夜になるとベッドに潜り込んでくるという恐怖、不安、実母からの嫌味で不眠症を発症。
どこにも居場所はありませんでした。
だからこそ、逃げるようにして、高校から付き合いだした彼氏と
逃げるように18歳で地元を離れたわけです。
(結局、この彼氏には他に彼女ができて別れたわけですが。)

その後、私も2回結婚したわけですが、2回目の結婚で子が生まれた時はさすがに、もうこれで一般的な暮らしができる!
一生懸命に旦那は働き、子供が幼い間は私はパートをし、
小学校に上がったらフルタイム勤務で裕福でなくでもいい。
それなりの家庭が築けるんだ。
・・・そう思いました。

でもね、人生、そんな甘くなかった。
上の子が生まれて間も無く、旦那のアルコール依存症再発、
浮気、借金、下の子を間も無くして授かるもまっったく帰ってこない。

ある日、玄関ポストに何十枚と詰め込まれた離婚届。

翌日、私は軽トラックを借りて、子供を一時保育に預け、
自分たちの荷物を持って家を出ました。
行き先は決めてなかった。でも、なんとかなる自信だけはあった。

役所に子供たちをおんぶと抱っこの姿で、離婚届を出しに行った。
その足で保育園を紹介してもらうために保健福祉課に行き、
その後、弁護士の元に向かった。

役所には離婚の成立を急がせた。
自分たちを捨てた男は忘れて、幸せになろうと思った。
1歳3ヶ月の上の子、下は3ヶ月の赤ちゃんの初雪が降った日だった。

この12月で、あれから10年。
父親のいない家庭で育った私は父親のいない家庭の母親をしている。

下の子が小学校入学と共にフルタイム勤務に切り替わるはずが、
上の子の不登校と自閉スペクトラム、学習障害、ADHD、
下の子の知的障害、ADHDの発覚。
この丸4年、学校には行けたりいけなかったりの繰り返し。
安定して仕事に出られないまま、苦しい生活は続いている。

だからと言って、手をこまねいて黙っている私ではない。
在宅の仕事量を増やし、学校を休んだ日でも子供たちには、
放課後デイケアだけは利用させる。

やっとスムーズに動き出せそうな矢先、今度は母の癌の発覚。
そして、私の心臓の病。

神様は一体何をしたいのか。
私だってたまには心が折れそうになるよ。
支えてくれる旦那もいなければ、子供に障害があるとわかった途端、
連絡を絶った親戚。

でもさ、
私が、誰にも頼れないから困っているとでも?
心が痛いよ、そりゃ。
泣きたいよ、思い切り。
大きな声で、なんなんだこの人生と叫びたくなるよ。

でも、それをしたからどうなるの?

心を痛めても、障害や病は治らない。
泣いたって、誰も涙は拭ってくれないし、そんな手もいらない。
慰めなんか求めるから、人生の道を踏み外す。
自分が可哀想だなんて思っているうちは、本当の幸せなんて
ない。

今を見定める力が自分にある事、それが幸せだ。
いつも私は事が足りている。
足りないものなんかない。

・・・昔、結婚して幸せになりたかった私は、
きっと昔からこんな考えだったんだと思う。
綺麗な結婚式も望まず、ウェディングドレスも適当な安い貸衣装で
新婚旅行もなく、写真だけの結婚式の翌日には仕事をしていた。

男にしてみたら、何とつまらない女だろう。
そりゃ、別れた人はみんな口を揃えて

「nasuは、1人で生きていける。彼女は1人では生きていけない」

と去られるよね・・・

来世ではシングルマザーにならないように、
可愛い女を研究してみます(←嘘です。やる気ないです。)

それにしても、こんな母親から生まれちゃったが故に、
お父さんがいない子供たちの不憫なことよ。
でも、再婚はしない、恋愛もしない。
10代の頃のあの地獄が蘇る。

とりあえず、子供たちの行先を照らせるようにASD母の私は
今日も頑張ります。

※ASDの特性から、過去の彼氏さんや旦那さんにもだいぶ、
ご迷惑をお掛けしてきたと思います(猛反省)


お借りした素材

新郎の肩に
写真素材 https://www.pakutaso.com/20220735186post-41266.html

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